エゲツナク、ブットビタイ

無難に生きてきた。もっと自由に生きていいと知った。ぶっとんでみたい。ぶっとぶまでのリアルな軌跡。

考えることは生きること

はい。

最近、表現欲はあるのものの、頭の中で考えてることって、テーマは数多にあるし、すさまじい勢いでコロコロ変わっていく。ぐるぐるめぐる、螺旋らせん。

なかなかアウトプットが追いつかない感覚で消化しきれてはいないんだけど、筆をはしらせる。もとい、フリック入力を滑らせていく。

未完でアウトプットしても消化できるたり、より広がることもけっこうあるよね。

■ 『考える』こと ■

最近あらためて「だよね笑」って思ったことがある。僕は水瓶座ですが、とにかく「考える人」で、思考の空間がえげつないのです。

なんというか、キャンバスがとてつもなくひろーいイメージ。つねになんか描いてる。しかもたくさんの画材で多彩な色で。ひろーくたくさん。

「考えることは生きること」なので、答えがでるかは別として、何事にも問いをたてようとするし、あーでもないこーでもないと頭の中はすごい賑やかです。

で、せっかく思考の空間がすさまじいのならば、うまく使いたいなと思って、『問い』の立て方は少しずつ質を上げてる。

ちなみに、『悩む』のではないですよ。あくまで『考える』のです。

深堀をする「なぜ?」とか、前に進むために「どうやったらできる?」とかを筆頭に、仮説思考や具体と抽象の使い分けやロジックツリーなどなど、思考の領域展開や集約などを試みてみたり。

読書はインプットにものすごい効果的で、だれかとの対話はアウトプットにものすごい効果的。

それがね、会社がいい取り組みを始めたんです。

■ メンター制度始動 ■

どこからネタを仕入れたのか、「メンター制度」ってのをやり始めたのね。

選ばれた人だけなんだけれども(選ばれたんだぜ!)、役員3人と部長3人がそれぞれ数人ずつのメンターとなり、たぶん目的は人財の育成をしていくこと。

初見で、「うん、メンターそんなにいらんかな」と思いました。あまのじゃく。

ただ、同じ環境(この場合は会社)にいる人と『対話』できる機会はなかなかないので、一番それがかなう人がメンターとして割り当てられました。

この人は経営者だし役員だし、仕事の次元は違うんだけど、そういう人との対話こそ自分自身が磨かれるのでこりゃおもしろくなってきたのですよ。

■ 対話とこれから ■

先日、その人とひさしぶりに近況報告がてらごはんしました。

初回。上々。

常日頃、自分の仕事をしつつ、勢いよく大きくなる組織に足りないものや課題は何か、どうやったら解決できるか、なにが足りてないかをずーっと考えたりしてるのです。

そういうことを含めて、役員に直接思う存分に思うこと、感じることを表現する機会ってなかなかない。

これはね、とてもいい機会です。

そして向こうもメンターとして、僕を成長させたい。

超絶に利害が一致してます。もちろん利害損得だけではないですよ。

■■ 対話によって ■■

僕もメンターもともに成長するし、会社のためお互いのため自分自身のため、ひいてはおのおののよりよい人生につながってくるくらい、この対話の場は価値があると思ってるのです。

そのレベルまで価値を広げることができるのじゃないかな、とうっすら感じてます。

相手をよく観察し、自分を観察し、表現し、受け止め、また表現していく。繰り返し、繰り返し、繰り返し。

ともに、深く知り。深く現す。

これを定期的に繰り返していったときに、どこまで力が伸びていくかは未知数だけれどもね。

どこまでも飛躍して、ほかの誰よりも圧倒的に成長できるのでは、というワクワクな予感がとまらないのです。

37才にして、まだまだのびるよ。

貪欲な好奇心をもっててよかった。

あ、初回のお互いの感想「おもろいね」でした。

うんうん、なんかいつもいい感じ♪

気づけば半年近くなにも書いてなかったので近況を書いてみた

はい。

コロナの波もおさまらず、おでかけも控えめに。そこに冬という季節が拍車をかける。

とはいえ、たまには出かけてますが。

■■ 仕事のこと ■■

2020年8月からほぼ完全に、マーケティングという部署にかわり、前とはうってかわってインプット欲が凄まじい。

↓前のこと

欲求のバランス|ü|note

足りない。あらゆるチカラが足りない。もっとチカラがほしい。

仕事に関わるあらゆる『チカラ』を身につけ、もっている『チカラ』は洗練していきたい、と思うあまりに読書欲が止まりません。時間足らん。

仕事術、人間関係、マーケティング、組織論、コミュニケーション、リーダーシップ、クリエイティブ、コピーライティング、思考法、フレームワーク、分析法。

マーケティングという「何なの!?説明して!」といわれても、範囲が多岐にわたりすぎて説明できないし、ましてや理解するにも奥も深すぎるし幅が広すぎるのです。

そんなマーケティングの海を日々素潜り素潜り。

でも、仕事する上での基礎的な知識・知恵・体力などは必要なわけで、いろんな装備を持って日々潜って泳ぎ続けてます。

僕の今いる会社は、約二年前の入社時は社員役員で7人。今や社員役員で30人近くで、従業員数でいうと50人くらいの組織になってきました。

なにが役立てるかわからんけども、持ち前の器用さと、変なところにある不器用さをもって、柔軟に組織の中で動けるようにはしておきたい。課題だらけなので。

僕自身は役職もなく、見えやすい数字での成果もないので、会社からどう評価されてるかはつかみきれなかったのですが、給料がグンッとあがったので評価は上々のようです。

引越が一歩近づいた。

自分を買ってくれてるというのはありがたいものです。

 

この会社に今いる以上は、僕がどれだけ役に立ち、楽しむことができるのか。

 

と同時に

 

この会社は僕になにを期待してて、僕をどううまく使い、どう楽しませてくれるのか。

 

それらが循環して、会社の利益につながるわけです。

こんなことばかり最近は考えてる。楽しく関わりたいもん。

■■ とはいえ ■■

いつも楽しいばかりでなく、自分の未熟さを見せつけられたりすることもたくさんあります。

 

辞めたろか、と考えることもある。

この会社、ほんと残念だわ、ってなることもある。

 

でもどうやら、僕は会社そのものや役員(3人)の人たちのことは割と好きみたいなのです。

あ、僕のいる会社は役員といえ、バリバリ現場で仕事しています。

もっと役員の方たちに認められて経営の軸に加われるくらいの『チカラ』をつけたいと日々研鑽です。

仕事は信頼がすべてだし、評価は周りがするものだし、組織という枠の中にいる以上は、ルールや思いやりも大事。

自由にしたいから、やりたいことやりたいからとわーわーとわめいても、信頼もなにもありませんな。

いつも、自分の軸や感情を見失わず、よく観察して、鍛える。がんばる。

■■ そんなわけで ■■

もうすっかり仕事人間です。SNSからはますます離れてるな。

37歳にもなったことだし、この一年も楽しく過ごしていきますかね。

うんうん、だいたいいつもい~い感じ。

欲求のバランス

時間を持て余すな、と感じている今日このごろ。
コロナの影響も多少はあり、外に行く機会が減りさらに時間を持て余す。

そこに拍車をかけるのが欲求の偏り。

漫画とか映画とか音楽とか読んだり観たり聴いたりしたい欲求が激減。ビジネス的な本とか、小説や雑誌やニュースとか読むこと自体も、なんだかおっくう。

お金がかかるのが一つの理由かもしれないけど、仮に無料でもそこまで気持ちが盛り上がらない。

ふむふむ。知識欲低下。

飲みに行くとかご飯はしたい。これはコロナで自粛の反動もあるな。ほんで、やっぱりおいしいもん作るのはわりと好き。

ふむふむ。食欲はあるか。

ちょっと楽しくてはまりかけてるのはサイクリング。
体は動かしたいらしい。知らないところまで、知らない道を走って、知らないものを見に行くのは楽しい。

ふむふむ。いいチャリ買お。

旅行はしたいらしい。これはまだコロナの影響でできんね。

ふむふむ。

ざっとみると、インプット欲がかなり低下しておる。

仕事面では、新しい領域にようやく入り始めたので、新しくめちゃくちゃ勉強することが増え、今までとは違うタスクに入れ替わっていく。インプットしたものをアウトプットしてガンガンに成果を出せばいい。そのサイクルは「仕事」という半強制的な環境において回していけるのでなんの心配もいらない。

おかげで、仕事論は少しずつ蓄積されてる。当たり前すぎて「みんな一緒でしょ?」と思ってることが、ある人に「ほぇーなるほど。」って刺さることもあるよね。美学的な。

アウトプット欲はだいぶあるけど、書いたりSNS投稿をそこまでしたいわけではない。と、書いていながらやっぱり文字にする欲は少し湧く。文字にするのと同時に自己分析もするので、思考や想いが流れて新しいことが湧いてくるし、なんか気付けることもたくさん出てきた。

ちなみにここ数ヶ月はSNSはほぼ冷めてるし、生きてるよって事でたまにストーリーする程度。いいねもほぼしないし、なんなら全然見ない。

◆◆ 休みの日はというと ◆◆

どちらかというと、オンオフはすぱっと分けるタイプなので、休みの日を「仕事のために」体や心を癒やすという考えはない。

「仕事のために」がちょっと違ってて、楽しいことして過ごしたい!と思って生きてるので、「楽しいな〜」っていう休みの日を過ごすことで結果的には癒される。それが仕事のために勝手につながる。仕事をがんばるためにゆっくり休もう、ではない。

なんなら平日に仕事やりきって、翌週のタスクも整理した上で休みに突入して、仕事のことはあんまり考えない。もち、たまに仕事のことするけどね。

◆◆ 自粛によって気づけたこと ◆◆

どちらかというとインドア派かもしれないけど、出かけるのに躊躇はなくって、ただ目的とかがないと腰が重いだけ。目的さえあれば、フィリピンとかベトナムとか行くし、屋久島とか東京も行ってた。時間とお金さえ許せばどこでも行く。

美術館も博物館もカフェも和菓子作りもサイクリングもスイーツ巡りもドライブも水族館もテーマパークも温泉もモールも神社仏閣もなんでも行く。好奇心旺盛だし一緒に行く人との時間と経験の共有も好きだし。

インドア派だから家で永久に時間過ごせるわーと思ってたけど、社会とのつながりとかコミュニケーションがあって成り立つものなんだとよーくわかった。コロナの影響で仕事もできてなかったら、もっとしんどかったかもしれん。

◆◆ ぐーるぐる螺旋らせん ◆◆

インプットとアウトプットの循環はほんと大事。ぐるぐる。でないととどこおる。

いろいろ考えてて、あらためて人とコミュニケーションをしたいんだなってわかった。いま、自分の近しい人や属してるコミュニティーの中で。

コミュニケーションしてないわけではないんだけども、あんまり「いいコミュニケーション」かできてないんだろうか。楽しいコミュニケーションというのか。不完全燃焼な感じ。

好きな人と楽しいコミュニケーションをしたい。こんな当たり前のことがろくにできていないのは、リアルに対面で会って話すのが好きな性分と、自粛のためにそれがかなわないからか。

それによってフラストレーションが溜まっててインプットばっかでお腹いっぱい。アウトプットが足りてないらしい。

ふむふむ。

◆◆ かるい人生のお話 ◆◆

あとはちょっとやりたいことってのがブレがちかも。人生とはみたいな。そんな重いものじゃなく、「なんしてこーかなー」くらいの軽い感じなんだけど。仕事。恋愛。経済。健康。場所。

仕事はありがたいことに、評価をしてもらってて会社の軸に近づくような仕事の領域に変わってきてる。これはそのままがんばり続ける。スキルがついたり、収入上がったりすれば万々歳。これぞやりがい。

毎日キーキーぶーぶーいいながらやってます。

それにともなって経済状況がよくなればいい。もっと年収とかグングン上げていきたいけど、さすがにちょっと時間かかるか。一つ一つ丁寧にこなしていく。

そしたら物欲、旅欲満たしたいし、広いとこ住みたいから引っ越しもしたくなるな。夢は広がる。

経済でいうと、投資とか副業とかはやっぱり興味がわく。これからだな。

体重管理もできてないし、運動も不足がちなので、体重管理しなきゃ(だいぶ太った)。

恋愛については、なるようになるか。会社は人がどんどん増えているので、出会いも増えるでしょう。

見たい景色、やりたい体験、行きたい場所とかはちらほらあるけど、一人はだめだ。ワイの場合は時間と体験を共有できる相手が必要だなぁ。

◆◆ すこしすっきり ◆◆

なんかこうして書いてみることで、ちょっと詰まってたものは吐き出され、「あ、そっかそっか。」と感じることもあった。

ときどき
つどつど
つらつら

と書こう。

うんうん。だいたいいつもいい感じ♪

最近の考え事~仕事のこと

転職して早一年。

世間の価値観とのズレを感じながらも、立派に仕事人をやってる。与えられた仕事をどんなことでも雑用でもちゃんとやり、信頼を増やし、休みの日もたまに仕事がらみの情報収集をしたり。凡事徹底。

今までの生き方では、ここまでサラリーマンとして仕事のために自分のエネルギーを集中させたことはなかった。いわゆる副業とかダブルワークとか、なんか別のことを常にやってたし、人間関係を会社の人に限定したくなくて社外につながりを求めてたりもした。

好奇心旺盛でいろんなものをたくさんみたいし、過度な束縛をきらい、自由に飛びまわりたいタチなのです。

自由に飛び回りたいのは決していろんなとこに行きたい、ということではなく、もっと広い意味で「自分の時間を自由に好きなように使いたい」ってこと。ほんでこの世界のいろんなものを体験したい。

好きな人に会いたいし、気分乗ればでかけるし、一日家で身体を休ませるためにだらだらするし、本ひたすら読むし、好きなもん食うし、ゲームとか映画見たりもするし。

ごく少数の親友と、楽しい時間を過ごせる友人はのぞいて、人に会うことで元気になるタイプではない。ひとりでいたい、と感じることの方が多い。

エネルギーを外から取り込むよりも、自分の内部から発生させて循環して元気になるかも。

その時間でよく考え事もするし、自己対話もわりとする。

■■ 頭に浮かぶ考え事 ■■

最近では正社員と収入の柱、について考えることが多い。

そうそう、人生初の正社員なのです。いままでこだわりもなくて、派遣か契約だったもので。

なにを考えてるのかというと、正社員雇用なのだけど、契約書には契約期間がかかれている。法律上では問題はない。正社員という単語は実は法律上は存在しない。ただ、社会通念として「正社員=無期雇用」で、契約期間なんて存在しない、らしい。ある意味企業の姿勢次第なのです。

「正社員だから安心?」

これはワイが大学生の頃からずーっと抱いてる「?」です。わかるけどね。ウチは中小企業で、創業者とそのつながりで五年ほどかけて成長させてきて、ちゃんと社員を外部から雇ったのはワイが初めてに等しい。

ちゃんと確認してないんだけど、だますとかうまくコキ使うためではなく、なんか考えや事情があって契約期間を雇用契約書上設定せざるを得ないのではなかろうか。ひとつは正社員を雇うノウハウがないことかな。体制がまだまだ整えられていない。

あとは、まだまだ小さな発展途上の会社なので、会社としては有期雇用契約の方がメリットはある。下手にたくさん雇って使えるかどうか試すことできないし、変な人きたら切りやすいのです。あとは助成金がらみもありそう。

正社員のノウハウがない会社なのだけど、ワイ以降に雇われた社員では家賃補助は初めてつけてもらえたし(てかワイだけ)、ボーナス(一年目は寸志とはいえ)は一番多くもらえた。

これは自慢したいわけではなくて、正社員として、すなわち長く働いて欲しいという姿勢や正社員としての待遇をしてくれていることの現れだと思ってる。

■■ なにが「普通」なのやら ■■

確かに結婚とかを考えると、そこを気にする人はちゃんと世間一般の契約期間など定められてない正社員の方が安心なのかね。正社員の定義を調べていくと、紛れもなくワイも正社員ですね。ちょっと世間一般の普通とは違うぽいですが。

まぁ、そんな条件に縛られて、もしその条件がなくなったときどうするのかねぇ。「稼ぎがいいから安心!」「大企業にだから安心!」とかとか。

うーん、自分がこんなことゆうてる半分はコンプレックスの裏返しのような気がするな。持ってないから劣等感を感じる。半分と言ったのは、たぶん自分が持っててもそこにこだわるのはナンセンスな気がしてるから。変にとらわれるなよ、って感じ。とらわれると見失いますからね。

それはさておき、やりがいと人間関係の充実度合いがめちゃくちゃいい会社で、中小企業とはいえ伸びゆく会社でつとめて、仕事面において満足充実できることもとても大切だと思うのです。

ま、完璧なことってないので、会社にイヤだなって時々思う人もいますよ。つらいことも不満もたまにはあるよ。人間だもの。

■■ まとめにかかる ■■

そして、そんな会社にエネルギーをほぼ注いでるので、なかなか気が向かないのですが、収入の柱を他にも作っときたい、資産形成をしていきたい、と考える今日この頃。。。

収入の柱が一本だとある意味、不安定なんですよねぇ。

物販事業は完全にたたみ、確定申告も終えたし、今年はなにしようかねぇ。

しばらく、のんびり。充電期間。

いま、と、この先を考える時期かねぇ。

うんうん、だいたいいつもいい感じ。

「嫌い」を持つ人について

最近はFacebookはろくにあげず、見ず。開きもしなくて、いいねもまぁせん。数記事ぱらぱらしてそっ閉じばかり。

時間とか意識とかアンテナとか視点など、すなわちエネルギーが自分自身と自分との接触頻度の高い人にしか向かわないからであります。

向いてるところが、とても現実(リアル)な範囲になっている、ということです。

どうしてもなかなか会わない人は、わかり合えるとしてもリアルタイムではなくなるので、スピード感とか臨場感というのか、そういうところに物足りなさを感じる。

まぁ、そんな時期もあるよね。

特に仕事においては、楽しみながら、磨きながら、どっぷり「仕事人」をやってるのと、そこに関わる人たちがいろんな意味でとても楽しくおもろい人ばかりなので居心地もよい。

そういう意味では、ひとつの「場所」の確保ができてるんだと思う。

とはいえ現実ばかりにいても、ふと気づくと「あれ?なんかからっぽだぞ。」とか、振り向くと「あれ?なにも残ってない。」とかなりかねないのです。

だからたまに、書く。

頭の中を整理して、「わたしはいま、こう感じている。」を言葉にして、書く。

小出しにするつぶやきみたいなのもその一環。そうだ、Twitter使ってみようかな。

■■ 「嫌い」を持つ人のこと ■■

最近人とふれあってて思うのは「この人嫌だな。」ってひとの方が、めっちゃ人間について学べる。

だって、なんで「嫌だ」って思うことをやるのか、相手のことが理解できないんだもん。

自分にないものをもつ、なんなら自分がやっちゃダメって思ってることをやってるから「嫌い」になるんですよね。

関わらなければ無関心ですむけど、関わらざるをえないときは無関心では済ませられない。だから「嫌い」になりがち。

とはいえ気をつけてね。我慢して無理しすぎると自分がめっちゃダメージ負うし、ボロボロになるよ。そのときは逃げるか切るかしましょう。無理に嫌いな人に向き合ったりしなくてよい。

あとね、間違ってもなおそうとかはしない方がいい。だって相手の問題ですからね。きっと相手はなにか大切なものを失ってるよ。もしくはこぼれ落ちてる。

それと先に言っとくと、あなた自身に対して同じように嫌いと思ってる人もいるからね。これはそうでしょ。すべての人に好かれるのは無理。

■■ 人間理解のために ■■

「わたしはイヤです」を伝えるのはいいかもしれん。向き合い、話し合い、歩み寄りが望める人ならいいよ。でなきゃ何もいわない方がいい。

それをできると信じられる人にしかね、言わんよね。ほんでさ、自分との関係性をよりよくしたいと思える人に対してじゃないと言えんよね。少なくともワイはそうだな。

自己対話がくせなんでね。徹底的にね「理解できん。なぜ?」「なにを考えているの?」「どう感じてるの?」を考え、感情を感じる。知識の補充と仮説検証のためにググることも多々あるよ。たまにかなりいい線いってんだよ笑

それをやるとね、「なるほどね。」って少しずつ、少しずつ相手を受け入れることができるようになる。「なるほどね。」が増えるほど、人間心理への理解の幅と深みが増すと思うんよ。

会社の人なら「ちっ、しょうがねえな笑」
好きな人なら「そこも含めて包み込むわ照笑」
親友なら「ふざけんなほんま笑」

ってなるかな。
この「嫌い」を持つ人への理解って大事だと思ってて。なぜならば、完璧な人はいないから。

ちょっと視点を恋愛方面に変えるね。

■■ 視点変更ね ■■

たぶん長い人生において、友達とか親友とか親とか同僚とか先輩とかっていう、いろーんな人間関係の中でずーっと一番一緒にいる人って恋人だと思うんよ。時間的にも物理的にも。人生のステージによって夫婦になるんだろうけれども。

もちろん、恋人いるいない、いらないできないほしくないもあると思うけど、それはおいといて。ワイに関してはそうなると思ってる。

時間的にも物理的にも一番一緒にいるんならさ、パートナーとしてお互いに話し合い、向き合い、磨きあってよりよくしたい、自分自身も人間性を高めたい、と思ってほんまに二人三脚で一緒に人生歩いていくことができる人がいいんよね。

ほんで親友のように何でも話せて、信頼し合えて、アホみたいに笑って泣いて、バカみたいにはしゃいで遊んで、ときにはケンカしてぶつかり合って、でもごめんってちゃんといえてしれっと仲直りして。かっこつけることもキレイに見せることもしなくてよくて、何でもさらけ出せる感じがいいよね。

で、恋人らしく?なのかわからんけど、いちゃついてクサいこと言ったり、愛情表現したり、なんか記念日とか祝っちゃったり誕生日とかめちゃ悩んでプレゼント決めたりね。おいしいもん食べ、キレイなもん見て、二人の体験たくさん増やしてね。

いわゆる彼女って存在はさ

いっしょにいると楽しい!笑顔になれる!

ってのが一番大事だと思ってるんです。

それをこの先ずーっと安定させるためにも稼ぎとか礼儀とか信頼とか自己研鑽とかも大事なわけで。

■■ でね、なにが言いたかったか。 ■■

そんなことをしたいと想える大事な人でも「嫌い」は絶対あるんですよ。ない?それは猫かぶってるだけ笑

絶対「嫌い」は出てくる。そのときにね、「嫌い」にどれだけ歩み寄れるのか。受け入れていけるのか。向き合わないといけなくなるときはくると思うのです。そう、それは試練。

わかってると思いますけれども、論外!はあるよ。
犯罪はダメ。暴力とかもダメ。「あなたがいないとダメ」もダメ。ただの依存。「この人はわたしがいないとダメ」もダメ。洗脳的なものは目を覚ませ。

■■ We ■■

「嫌い」をね、一元的に「うーわ。それやられるのしんどいから無理。ありえん。」てなるだけだと、その先がなにも変わらず、同じパターンの繰り返しになると思うんよね。で、我慢して爆発。

「なぜそれをしたんだろう?(あなた)」
「何かがそうさせたんだろか?(わたし)」
「自分が相手に同じことしたらどう感じるんだろう?(あなた)」
「やってみてなにかわかることないかな?(わたし)」
「してる人を見たらその人に関して相手はどう思うんだろう?(だれか)」
と多角的に多面的に、多次元でとらえるのがいいんじゃないかな。

あなた と わたし と だれか(第三者

の三つの視点。三次元。
ほんで大事なんは「よりいい関係を作って、この先も楽しく過ごしたい!(わたしたち)」という四次元の視点を共有できるといいんだろうな。

あなた と わたし と だれか 
そして わたしたち

好きもあるし嫌いもあるよ。全部向き合って話し合って丸ごと愛せるのが理想だな。

■■ 走り書き ■■

と、思いつくままに、あまり加筆修正校正しないでここまで書ききりました。めっちゃ長なってしもた。

こうやって出すことで、つっかえやモヤモヤが晴れますね。

うんうん、いつもいい感じ。

 

愛想と愛嬌と

最近ねー仕事も恋愛も生活もぼちぼち過ごしてますけれども、本質的に意識しているのは自分の人生の満足度をどれだけ上げられるか、ではないかなと。

自分の人生を全うしたい。楽しく生きたい。自由度は上げていきたい。みたいな。
そんな本質を大事にしつつも年齢とか仕事とかいろんな要因で価値観というのはアップデートし続ける必要はあるなと。

夢物語のような理想を見つつも、現実的な部分も見つめる。天を見上げながら、踏みしめる地をちゃんと感じるというのか、歩む一歩一歩を確かめながら歩いていくというのか。

その歩み方も、自分では良しとしてたり、自分としてはそういうもんだと思っていても、他人からの、特に近しい人が言ってくれたことによって「ちょっと違ったよね。」って気づけることというのはたくさんあるもので。

客観視ということではありますが、それでも言ってくれたことの「言わんとしていること」をちゃんと聞いておかないと、認識のズレが生まれますね。いやー、ちょっとズレてたわ。

自分という、人間という存在を「磨く」というのは本当に終わりのないことです。もちろん磨き終えたとも思ってもいないのですが、自分の中のそれなりの輝きを見ると、「なかなかいい輝きやんけ」とか「これがワイの輝き!」と感じてしまって、なかなか磨けていないアラとかは客観的に見てもらわないと気づけないもんです。

正しいと思ってることは思いこみということは大いにある。

なんだかやたらと抽象的な表現ですが、ここからはこんなことを言い出した、もうちょいと具体的な最近のことでも書いてみましょうか。

それが「気を使う」という部分のこと。

◆◆ さきに結論言っとく ◆◆

結論。無理に愛想よくしない。いつもヘラヘラ笑顔にしてなくていいんだよ、ってこと。

公私、のおもに「私」の方面で、です。仕事ではね、演じなければいけない自分もあるので愛想も必要だし、多少は我慢や偽りの自分な必要なものです。仕事の自分。えらいぞ。もちろん不愛想に過ごそうってわけでもなくて。

今から説明する『認識のズレ』に気づけたことはある意味「本来の自分自身」の一部を再発見できたと思っておる。

◆◆ 気を使わなくていいよ ◆◆

よくね、「そんな気を使わなくてもいいよ。」って言われることがあったんです。女性に、です。

ワイとしては、レディファースト的な行動とか気配りをそう言われてるのかと思ってた。

でもそれってわりと無理なくできることなので、「いうほど気ぃ使ってないよ。」って思ってたし、伝えてた。

どうやらね違うみたいで、そこじゃなくて、それは愛想良く笑ってる部分だったぽい。

「がんばんなくていいよ。自然体でいいよ。」っていわれてなんかやっとピンときた。

楽しませようとか笑わせようとかニコニコしとこうとか、確かにしてた。

本来のワイはそんなにヘラヘラしないんよ。愛想が悪いってわけじゃなくてね。じゃあなんで笑顔でいたのかって?

接客業にずっと携わってきたのと、変なプライドの高さと、人によく思われたい、嫌われたくないという。

このあたりの感情が入り混じって必要以上に「気を使っている」「がんばっている」と見えるようなのです。

不自然なんでしょうね。ワイにとっては世渡りのためのテクニック、処世術みたいなもんです。

◆◆ 愛想笑い作り笑顔の弊害か? ◆◆

たしかにね、感情が「笑」ってなってなくても、笑顔作ってる時はあるし必要な時もある。

でもそれは無理してた部分もあったと思う。よかれと思ってね。悪気はもちろんない。感じ悪いのって、いやじゃん。

笑顔でいたほうがいい印象だし、接客業で愛想笑いスキル手に入れてたし、ニコニコしてた。

でも相手に時には不自然さを感じさせてたのかもしれない。たしかにいつもニコニコしてても気持ち悪いしな。何考えてるかわからんし。

ほんでそういう不自然さが、何考えてるかわかりにくいと言われる一つの理由だと思う。よかれと思ってたんですがね。

きついこと言われたり怒られたりしても、少し笑って「ごめんね。」って。「申し訳ないな…」って思ってても、そんなシュンとした表情すら出すことがはばかられて、気持ちをごまかすために。

たぶんね、まゆげは困ってる時の形だと思う。相手にも不自然さは伝わってるはず。

いやだな思ってることを相手に伝える時とかも「変な圧が出るとやだなぁ…」と思って真顔では言わなかったり。変な雰囲気が和らげばいいなぁと思ったりしてた。

それって自然じゃないんよね。そういう不自然さが「そんな気を使わなくてもいいよ。」って言われることにつながってる。

女性はすごい。同じ笑顔でも「どんな笑顔なのか」ってのはわかるみたいですね。だから「がんばんなくていいよ。」とか言ってくれてたんだと思う。

もうね、無理に笑顔作るのやめることにした。

作るんじゃなくて、湧いてくる感情のままに笑えばいいなって。それが自然体。素直に。それは愛嬌ってやつなのかな。

それは結果的に『リラックス』の状態になるんだと思う。

◆◆ Too much ◆◆

散々ねいろんなとこで言われててね、わかってはいるんだけどね。

  過ぎたるは猶及ばざるが如し

これって、善意でもそうなんよ。良かれと思ってることね。良かれと思ってやってることも、やりすぎると相手は受け止めきれなくなる。

やりすぎってねいいことにも起こるんですね。よかれと思って「笑顔」を作りすぎたよ。ほんまの「笑」の感情があるときだけにするわ。

相手が求めてないのにアドバイスしちゃったり
必要以上にアレもコレも説明しちゃったり
よかれと思って気配りしすぎたり

相手が受け止めきれないとそれはやりすぎよな。善意の押し付け。親切の押し売り。「いや、それ今いらねーから。おいおい、勝手に善意を押し付けといて『いいことした〜』みたいに満足してんなよ。」と、ブラックタクがのたまう笑

とにかく、笑顔の安売りはしないようにする。
そのためには心から、「笑」の感情でちゃんと笑う。
でも感じ悪くならないようにする。

ワイの場合ね、振り返ってみると作り笑顔、愛想笑い多いので、やめすぎると興味わかないものや笑えないものに対して真顔でズバズバ言っちゃいそう。。。

「ちょっとわからんわ。」「なにがおもろいの?」「大変だね。」「で?」

素直に思ったこと言うのは悪いことではないけど、人の関わりにおいてはもうすこし優しい表現ができるようにしよう。

このズバズバ言っちゃいそうな部分はワイにとっての別の課題にもつながります笑

「人にかみつく」という課題。

これはまた次の機会に深掘りして見ます。

愛想笑いや作り笑いをしすぎた故に、それが自分の中で普通になっていたのだけれど、ワイのことを見てくれる人はちゃんとそれを伝えてくれた。

ある方面にやりすぎたからこそ、反対側をやってみて、いいとこでバランス取れるように、選んで使いこなせるようになる。

やはりなにごともバランスですね。いつも真ん中に。

うんうん、だいたいいつもいい感じよな。

自信ってなんなんだろ?って話です。

自信を持つとは?

自信とは自分を信じること!

多分違う。なんというか、これだけじゃない。

自分を信じることは間違いではないんだけどそれだけじゃダメだし、その本質を捉えてないとそれはモロいしまるでハリボテ。

それは「虚」です。ニセモノ。虚勢。

自信を持つ○個の方法!とか、できたことをあげる。できることをあげる。小さいことから成功体験を持つ、とかとか、こういうのも本質を捉えてないと何事も意味をなさない。

無駄とはいいません。それによって自信つく人もいるだろうからね。

◆◆ あくまでワイの話ね ◆◆

ワイの場合、いくらこういうのやっても自信つかないのです。「ナニカを成し遂げて自信を持つ」というメソッドでは結局また自信を失うことになる。

「できたから自信がついた!」だと「出来なくて自信なくなった。」ってなって、これを繰り返すと思うのです。できないことなんて無限にありますし、いたちごっこ

そんでね、「自信を持つ」ってなんなん?ってずーーーーっと思ってたわけです。

我が身を振り返っててね

自信があるってどういう状態だろうって。

自信があるときってどういう時だったんだろうって。

 

◆◆ わかった。 ◆◆

これですわ。

 「不安にとらわれてない時」

 なんかポジティブに寄りすぎると傲慢なイメージなんよ。どうしても「俺自信あるよー!どうだー!」って感じ。

実際口に出す人はいないけど、会話しててその雰囲気を出してる人とか、なんか変に「すごいでしょ!認めてー!」ってのが出てしまってる。

これはただの自信過剰です。「すこいでしょー!ほめてー!」が強すぎる。なにごともですね、「Too Much=やりすぎ」はいかんのです。

反対にネガティブに寄ると、自信持つどころか当然自信がないので、不安にまみれてる。不安から始まる行動は、あんまりいいことないよね。

 

ほんでね、本当に自信ある状態って、自然体で「よし。なんでもこいや。」って言えるときだなと。なにが起きても大丈夫ってなってんの。構えないし、リラックス。

あと人と比べることが少ないし、そこにハマらない。

「オレはオレ」の強さ。

他人をみた時も「いいなー。うらやましいなー。」てはないよね。人と比べないからそこは「いいね。すばらしいね。」って感じなんじゃないかな。「俺も素晴らしいけどね。」ともならない。自分は自分なの。ある意味自己満か笑

 

不安もあるよ。怖さもあるよ。
でも「まかせとき。」ってなってるとき。
テンションあげて「まかせとけー!!」じゃなくて。

ずーっとくよくよしてない。前を向ける。しぶとい。
立ち向かう勇気を持ってるって信じてるから。

失敗もするよ。全然できん時もあるよ。
でも「くっそ。次またやってやんよ。」って感じ。
テンションあげて「つぎつぎー!」とはちょっと違う。

ずーっとくじけっぱなしじゃない。上がってくる。しぶとい。
まだまだ成長できるって信じてるから。

こういう意味で「自分を信じる」ってのが自信があるってこと。

◆◆ なんというのか ◆◆

なんだか滲み出るものだと思うのです。語らずともわかる。余裕を感じるもの。

「自分はすごいぜ!こんな実績あるし!」っていうのとは違うんだよって話でした。

たぶんね「自信」ってもっと奥が深いものだと思うよ。

自分を信じる。そして、相手のことも信じる。世界を信じる。

他人によらず、比較せず。ブレず、いつも自分のど真ん中、今のど真ん中。中心に自分自身が在る状態。

地に足つけて、どっしりと。弱さを知り、強がらず。でも強く在ろうとする。

以上、これが正解ってわけではないのだろうけども、現時点の「今」のワイが「自信がある」について発見したことです。

ふむふむ。日々精進。
だいたいいつもいい感じよ。