エゲツナク、ブットビタイ

無難に生きてきた。もっと自由に生きていいと知った。ぶっとんでみたい。ぶっとぶまでのリアルな軌跡。

数字の話とかいろいろ

隠すわけでもわざわざ言うことでもないのでとくに言ってなかったのですが、今年に入ってから夜勤で軽作業の仕事をしています。昼夜逆転。理由は様々。接客業に疲れたのが大きいかな。夜のお仕事です笑
初の夜勤で体力や生活リズムに不安もありながら、なんとかなっていて、結果的にとてもいい職場です。

ここで生活費を稼ぎながら(いわゆるライスワーク)、物販事業に取り組み、利益を大きくし、徐々にシフトを減らしていくのを想定してたら、まんまとその流れになっている。ので、結果的には大正解。

週5勤務からすぐさま週4に減らしていて、4月後半からは週3勤務。週3に減らすと入るお金は減るけど、増えた時間をさらに物販事業に投資して、利益を大きくしていきます。

いきなり独立!開業!はリスクが高く、ワイにはできないと踏んだので、時間をうまく使って副業でコツコツ小さく初めて、少しずつ大きくしていく。ほとんどの人はこのやり方がいいと思う。生活費稼ぎはバイトでも何でもいい。生活費の不安はなるべく減らす。

当面の目標は6月には食っていけるだけの利益がだせる状態を作り、仕事を辞めること。すなわち本当の独立。そして目指すのは月50万円の利益。年内の達成目標なのです。その先はその時に感じるままに。すべては「人生の自由自在の幅を広げる」という夢のために。

◆ 不安は?恐怖は? ◆

なにそれおいしいの?状態では全くなくて、ちゃんと、それはあります。それを知った上でちゃんと進む。恐怖も不安も「関係ないぜー」ってのはただの無茶無謀。本当の強さは恐怖も不安も知った上で進むことだと思うのです。もっと強くなりたいよ。心も体も。男としても。

そういえば、苦労してなさそうとかよく言われます。これねーそもそも苦労を苦労と感じていない節がある。「え、目標達成のためには当たり前のことでしょ」みたいな。他の人に比べると、当たり前のように身を削って、それを苦としないから「苦労してなさそう」に見えるんだろうな。めっちゃ頭使ってるし、必死必死。それを表に出すのも好きじゃないから余計にそう見えるのか。しゃーない。

◆ 大事なのは ◆

やり続けること。数字から逃げないこと。やり続けるためには。自分の望みと悩みを知ること、のような気がしている。「いま、私はこれをやりたい。」そのためには?どうやったらできる?なにが必要?

将来のために、とかは一旦おいとこう。もし考えるとしてもちょっと先のことでいいよ。その先のことはざっくりでいい。向いてるかどうかなんてやってみんとわからんね。そして大事なのはやっぱりお金のこと。結局、そこで詰まることの多いこと。

ちなみに、やめる時の心境って「なんでやってんだろう?」ってなってやる意味とか、やる意義を見失ってしまうのが多いと思うな。だから「なんのために?」「なぜやるのか?」ってのは結構大事でしょうな。いきなり「人生の究極の目的!」みたいなのはいらないよ。「いま、わたしはこのために生きている。。。気がする。」くらいでもいい。これは変わっていってもいいし、変わっていく中でなんか自分の中の「変わらないもの」に出会えていくから。

生活をするため(衣食住の充実)、選択肢を増やすため、機会=チャンスを増やすためにもお金は必要。それをどうやって?なにをして?お金を手に入れる方法っていろいろあるけど、それを一生やる必要もないし、変化していくものだから、ときには割り切りも大事。やりたい!を叶えるために、やらなきゃいけないときもある。逃げちゃだめだ。がんばろ。

数字ってのはまざまざと事実を見せつけてくれる。日付と金額と率という形で。利益出ているかどうか、利益率はいいかどうか、お金は回るかどうか、どれだけ仕入れに回せるか、とかとか。売れてないときとかみるのもイヤになるし、んでちょっと売れると気分上がったり。ここにあまり感情を揺さぶられないようになりたい。

◆ ダイエット ◆

ちなみに、ベトナムで海に行くというのもあって体重を落としたくて、いわゆるダイエットをしていました。まだ継続中ですが。これも一緒。やり続けること。数字から逃げないこと。体重計は友達です。ワイの場合、太る原因はほぼ食べ過ぎなので、秘訣は我慢のみです。

ちなみに一年前(大阪移住時)63kg前後→年末(おかんメシがうますぎて)68kg前後に増える→今(絞った)65~66kgと順調。ベトナムまでに65kg台の数字に再会する目標は果たしました。もう2kgほど絞りたい。6月くらいからボクシングかキックボクシングのジムで体うごかしたいので、いい体になっていきそう。楽しみ。

こころ、からだ、あたまをいろいろな形で鍛えて磨いています。これの繰り返しでどんどん、こう、なんとういか、ステージが上がっていくんだろうな。あーなんかいい感じ。

いまの自分を見つめるのをやってみた

意図せず、ベトナム旅行からの体調不良で休みをもらい、10連休になってしまった。体を休めてゆっくりしていると、頭と心がぐるぐる動く動く。どんどん出してみよう。

久しぶりにシンプルマッピングでじゃんじゃん書き出してみたりして。好きな言葉とかも改めてどんどん出てくるし、再確認できることもたくさん。

今、大事にしたいヒト・コト・モノって何だろう。大事にしているヒト・コト・モノは何だろう。どこに向かっているんだろう。経済、人間関係、仕事、恋愛、人生、自分。いろんなテーマの価値観は何だろう。いま、を知る。

書き出してみると、数年前に比べても、割とすっきりしてきているな、と思う。自分の人生を生きていけてるようになっているのかな。知らんけど。

これからも変化・変容はするとしても、いろいろな本質をこの2年半ほどの間にたくさん知れたのは本当に大きいな。土台がしっかりしてきた感じ。定まってきたというのか。ナイス自分。よく動き回ってる。うんうん。

◆ ちょっと出してみる ◆

まず、具体的に「これをやりたい」ってのはあまりありません。そのときそのときの欲求を感じて叶えていくだけ。だからもっともっとそれをできるだけの自由自在の幅を広げていきたい。そんでこの世界を、この地球を遊びながら楽しみながら生きていきたい。お金、時間、場所、人間関係とかの自由自在の幅を広げながら。

大事にしたいのは自分自身とパートナーシップ。そしてここを支える「経済」とこれらをつなぐ「コミュニケーション」です。

さまざまな本質を伝えてくれる惣士郎さんに「たくちゃんはパートナーシップとか恋愛方面に生きていくと思う。」と言われたことがある。確かにな、と。やっぱりそこは特に大事にしたいんだなーと改めて感じておりまする。

なぜならば、どうやら自由自在性において、「場所」の要素はすこし他より違う位置で存在している感があるのです。「あなたと一緒ならどこでもいい」という「Where」より「Who」を大事にしているとこがあって、その実現のための時間とお金と人間関係の自由自在度を高めたいみたいなのです。とはいえベットリしたいわけでもなく、されたいわけでもなく、ナチュラルに一緒にいる感じ。

なんだろう、ちょっと表現しにくいけど、一緒にいるときはもちろんつながりやすいですけど、ときには場所が離れていても、つながる手段はたくさんあると思うのです。電話なりメールなり手紙なりテレビ電話なり。

「ここにいるから帰っておいで」という在り方でいることもあったり、「じゃあ一緒に行こうよ」と共に手を取り合ったり。それができるのはちゃんとつながっているから。家族、家庭を持つとまた変わってくんだろうな。

なんというか、水のように柔軟でありたい。外からの力で形を変えながらも、ありのまま水は水。完全に自由な水。

◆ 人は変わる ◆

価値観の幅が広がり、より深くもなったので、次に一緒になる人って割とどんな人でも受け入れられるんじゃね?と思ったりもしている。割と去年くらいからずっと。もちろんそもそも違う人間なので、違うところはお互いに表現し、理解をし合って生きていく。大事なのは対話の量かと。相手を知り、自分を表現し、共有・共感・理解を重ねていくことかな。

お互いが向き合い大事にし合い、お互いが同じ方向を見て歩んでいく。理想論だけど、「わたしの人生はこう」「あなたの人生はこう」という自立もしていながら、「だからわたしたちで、手を取り合ってこんな人生を共に歩いていく」という、そんな、ときには頼り合えるような、ある意味「大人の依存」ができる関係性を作っていけるといいと思うのです。

ちょっと、しいたけ占いの言葉ではあるのですが、本当に必要な人って、未完成でも完成品でも恋愛で向き合う人ってのはそこは重要視しないのです。未完成の自分のままでいいし未完成のあなたのままでいい。「おもしろそうだね」と言ってくれる人と縁が濃くなっていくもんなのだそうです。たしかに。

パートナーシップや人間関係においてもいろいろなことを伝えてもらったので、今までの恋愛で学んだことをベースにしながらも、さらに違う形での付き合い方ができるんじゃないだろうか、と感じている。ので、早く取り組んでみたい、なう、という感じです。割と去年くらいからずっと笑

◆ 現 実 ◆

実際どうなるかは知らんよ。こればっかりは1人ではできませんからねー。なんかやるとか、どっかいくとか、誰かに会いにいくのはまだ自分の身一つで動き出して始められるけど、異性とのパートナーシップは1人ではできん。

ちなみによくある「どんな人がタイプ?」って質問は非常に苦手で、感覚的に合う人、ってなる。こんな人に魅力を感じやすいってのはあるけどね。「わたしのどこが好き?」って聞かれるのも苦手。基本的には丸ごと好きになっていくので。

まぁ体休めてゆっくりしてると、頭と心がぐるぐる動いていきますね。そんな時間を大事に過ごせているのがありがたいなぁ。なんかいい感じ。

時には「てばなす」ことって大事

荷物がいっぱいだと、進むのも大変だし、そもそも進めなくなるし、つかれる。(精神的、物理的な)スペース、余白、余裕がないと新しいモノは入ってこないし、流れが滞って循環しなくなる。

あの人への想い、捨てられないモノ、抱えているモヤモヤ、たくさんのやること。いわゆる断捨離なんだけと、「てばなす」ことでモヤモヤが晴れたり、つっかえが取れて心の中がスーッと通る感じになって流れ出すことって多々あるな、と思うのです。話す、離す、放す。選択と集中

好きな人へ想いを話すことで、心の中にあるモノが出せて、よりいい関係性になることもあった。たまってしまった使わないモノたちを手離すことで、身軽になったり、よりいいモノを手に入れられることもあった。やることがたくさんあって、少し制限したりしたら、大事にしたいことがちゃんと取り組めるようになることもあった。人付き合いを制限したり距離を置くことで、大事にしたい人を大事にできることもあった。

執着

居心地がいいから、慣れてるから、もったいないから、安心するから、大事にしたいから、うらやましいから、好きだから、頼まれたから、嫌われたくないから、と様々な理由で持ち続けてること。勇気はいるけど、エイヤっと手放すのも大事。そうしないと望むモノは入ってこないか、とても手に入りづらいと思う。軽やかに進めなくなってしまう。

執着しすぎるとなかなか手放せなくなるけれど、決して執着がだめなのではなく、もちろん手ばなさいことがだめなわけでもないです。モノ、コトを極めんとする執着の心。それは執念であり、強いこだわり。これは大事だなと思っています。あとはたとえば「男としてのプライド」みたいに持ち続けることが大事なモノもあるんだろうか。男たるもの!みたいな。あ、「武士道」の「武士たるもの」の方がカッコええか。

「手ばなす」の流れ

パッと手ばなしてスッと次のことが入ってくることもあれば、すぐに手ばなせないけど次のことが見えたりして徐々に入れ替わることもあるし、手ばなしてすぐにはなにも起きずにある時突然空いたスペースにボンッと入ってくることもある。

手放せば入ってくるのは恋愛でも仕事でもなんにおいてもそうだなって思います。恋愛と仕事ってわりと本質的に同じ部分も多いし、恋愛話の方が好きだしおもしろいので、そっち方面で話を進めよ。

手放すものって何だろうって考えると、「相手への想い」とか「相手への期待」かな。好きな気持ち、愛して欲しいという気持ち。「〜してほしい」は自分で自分にしてあげるのが第一で、その次に相手にしてあげるのがいいのではないかと思っています。

相手への思いを手放すってなると失恋の時でしょうな。失恋したときに次に向かうためには、相手への想いを手ばなしていきますが、「次の恋愛に向かいたい」って思ったその瞬間から手ばなすことは始まってると思います。ワイが大事にしているのは、失恋相手への感謝の心と次に向かうよっていう想い。「あなたのおかげでわたしはたくさんのものを受け取りました。ありがとう。そしてそれを大事にして、わたしは次に進みます。」っていう感じかなぁ。これは直接伝えてもいいけど、伝える必要は必ずしもないと思います。

あと、その時ってまだ好きな気持ちとかあってもいい。一度でも好きになったり、愛した気持ちがあると、そう簡単にはなくなることはないよ。スパッと断ち切った(つもり)になってても、ちゃんとそこを感謝と次への想いをもって向き合わないと変にくすぶってモヤモヤすると思う。「あなたのことは好きだけど、次に進みます」って感じかな。

よっぽどのことがない限り、「好き」という気持ちは完全になくなることはないと思っています。少なくともワイは。一度でも本気で好きだったり愛したからこそ、失恋した相手や別れた相手に「幸せであってほしい。」と、いつもそう願っているから。

手ばなしていくと次に意識が向いて進めるようになり、「いいな」って想える人が現れたりして、「好きだな」となっていく。意識が前に向いていないと、「いいな」っていう人にも気付きにくい。そして以前に持っていた人への想いは小さくなっていって、新しく入れ替わっていくイメージ。ワイは失恋の時は毎回だいたいそんな感じ。

まとめ的な

要は手ばなす宣言をしたら、スペースができて入ってくる。なかなか手放せない人には「入る余地がないなぁ」となってしまうので、そりゃなかなか入るもんも入ってこんですよ。過去に引きずられすぎず、とらわれず。でもちゃんとそこは向き合った上で、目の前にいる人にちゃんと向き合い大事にする。大事にできない、大事されない相手ならば一度手放すのも勇気。恋愛は相手ありきですから、お互いに大事にし合わないと。まずは自分を大事にすること。

恋愛のみならず、仕事とか持ってるモノとかやってるコトでも同じことかなって思います。ちゃんと見極め、ちゃんと向き合うことが大事。その上でときには手ばなし、ときにはそのまま大事にし続ける。

手ばなして流れを作り、流し、循環させていく。軽やかに。そしたらなんかいい感じ

うん。だいたいいつもこんな感じ。

人生ってゲームだ

ゲームとかで「スキルポイント」というの形でスキル(能力)に数字(労力)が割り振られ、今の自分のレベルだとMAXいくらなので、これを越えないようにスキルを組み合わせていくシステムがよくある。数字が少ないほど労力がかからないので得意ということ。

人生をゲームのように

ゲームみたいに才能とかスキルが数字で可視化できればどれだけ楽だろう。ある意味ゲームのように楽しむのが大事大事。

レベル5!MAX10!洗濯3!料理5!掃除2!みたいな。しかもレベルあがるとMAXの数値は上がり、スキルは使えば使うほど少ない労力でできるようになる。

レベル10!MAX15!洗濯2!料理3!掃除2!のこり8!じゃあ英語5!簿記5でできない=キャパオーバーなので、軽い運動3!みたいな。うん。いい例えが浮かばん。

あれもこれもはできないし、全部やろうとしてもキャパオーバーして疲れちゃう。無理はいかん。現実問題はスキルは複雑多岐にわたるので把握は難しいですけどね。選択と集中も大事。

できることをやりながら、できそうにないことにチャレンジしていく。そうやって「できること」と「できそうにないこと」のバランスをとりながらスキルを伸ばしていく

もちろんそれぞれのスキルは個々で得手不得手があるので、料理にかかる労力が5の人(苦手)もいれば1(慣れてる)の人もいる。そもそもまだそのスキルを持ってない(やってない)人もいる。そしてスキルは使えば使うほどできるようになるので、必要な労力が低く(より簡単にできるように)なって、他のスキルにチャレンジできる。得意なスキルは伸びるのはやいし、苦手なスキルはなかなかうまくならない。

さらに!

たくさんのスキルを覚えると、その組み合わせで新しいスキルを覚える!料理×旅行で各地、各国のレシピが増えたり、英語×PCスキルで英文作成とか翻訳とか。これ組み合わせたらこんなことできるようになる!みたいな。うん。いい例えばが浮かばん。伝わってると信じます。

ほんでゲームみたいに攻略本があれば、答えが載ってるのでこれを極めればこのスキルを覚える!このキャラの得意分野は家のことなので、そのスキルを中心に覚えていこう!このキャラはここが不得意なので、こっちのキャラでそれを補おう!が丸わかり

人生の攻略本

うん。人生はそんな甘かぁないですね。人生に攻略本はないのです。ただ本質は同じだと思います。やればやるほどできるようになる。やらなきゃ覚えないし、できるようにならない。やってみなきゃ得手不得手もわからんし、新しい組み合わせも生まれない。その組み合わせは無限大でありながら、どこでどう組み合わさって新しいスキルが生まれるかわからん。どれだけやればのびていくかもさっぱりわからん

だからこそ、人生ってわからないからこそおもしろいのです。恋愛も一緒。わからんからおもしろい。生きてると感情や環境や人との関係とかも絡んできてややこしい。人生は複雑。でも本質はいたってシンプル。

この世界、地球を楽しく過ごす本質は行動あるのみ。

うんうん。なんかいつもいい感じ。

よくやる脳内の自分との会話~セルフコミュニケーション~

行動よりまず考えてしまう人なので、脳内の会話はあーだこーだと騒がしいです。そんなワイは動くときは、結構考え抜いて動いていることが多いのです。それが現実に現れた時、へんなこだわりに見えることもあるでしょうね。「ちゃんと考えた結果(のつもり)だからこれでいく」って感じ。そこにもっと柔軟性と余白を持たせておきたい。「何様なん。無知を知りなさい。」と言ってあげる。

物販事業のこと

日々、こつこつこつこつ。結果も少しずつ出てきて、その結果に対して「ほんとにワイなんかが結果だしていいんかなぁ」とか「ワイなんかがこんな稼いでいいのかなぁ」という謎のブロックが湧いてきながらも進めています。このブロック、おもしろい。月収で行くと多分、月収30〜40くらいにブロックがある感覚。どうなるかって?なぜかこのあたりで落ち着いて、これ以上の収入にはならないのです。

突き抜けて越えよう。だから月収50万を目指してる。「受け取っていいんだよ。」って言ってあげよう。

頭の中は数字がぐるぐるぐるぐる。いくら達成するためには、これだけ仕入れて、一日どれだけ売れて、一日こんだけの利益がでて、この時点でこれだけの利益があって、売上がここで入って支払いをして、と延々と。数字っておもしろい。現実をまざまざと教えてくれる。数字からは逃げるなって誰かが言ってた。お金とか、体重とか、時間とか、ね。

今年のテーマの一つにしている「流す」は「循環」の意味もあると捉えているので、このお金の循環はおもしろい。どれだけ、早く、小さく、たくさん回転させるか。ユダヤ人は「商人は安く買えるあらゆる商品を仕入れ、できるだけ早く小さなマージンで売れ」と学ぶそうな。

脳内自分対話

「うぉー!めっちゃいける!これならいける!」っていう高揚感と歓喜のまじった、テンション高めの自分。いけいけー。

「なにか見落としはないか。数字はどうなっているかな。」という冷静沈着に現実を分析する自分。明鏡止水のような感じなのかな?しーんと、澄んだ感じ。

いけいけー!な自分の時は気をつけないと、浮き足立っていて、自分のパターンでもある「調子にのると失敗する」というのが現れます。そんなパターンがあるんです。調子にのると足もとがふわついて、フワフワしてて、今まで気を張れてたとこに気が回らなくなって、何かを見落としたりする。だからミスがでる。防げたであろうミス。

なんにせよ地に足が着いてないと、ふわふわしててあぶなっかしい。「あ、ふわついてるな」って気づくようにしてる。ミスした時にも「あ、動揺してるな。」って。もちろん、その高揚感とかミスした時のくやしさはちゃんと味わいながらね。いろんなものを味わうためにこの世界で人生過ごしてるんだから。

男性性女性性

男性性、女性性という話をすると、ワイはどうやら小学生くらいの男性性とわりと成熟した女性性の状態。

どんどん進もうとアクセルを踏むワイと、できるだけ慎重に進もうとブレーキを踏むワイ。子供のように無邪気にチャレンジする、たぶんいわゆる男性性のエネルギーを使う部分。これだけでは無茶、無謀になるのでこのエネルギーだけをガンガン使うことの恐れはある。

ので、自分の中にある、まるで母のように見守る、たぶんいわゆる女性性のエネルギー。これを完全に信頼して、この二つのエネルギーをバランスをとりながら進めている。これが自分の中の対話で出てくるキャラクターの元にもなるんだと思う。イケイケなワイと冷静なワイ。突き進むワイと愛で見守るワイ。

そうやって、セルフコミュニケーションをとって、男性性を育んでいるんだろうな。セルフパートナーシップ。子供のような男性性を育み、青年となりやがて父となる。そうなったとき一人の人間として、より成熟した存在になることをなんとなく知ってる。

ちなみに男が男に、女が女になるのは恋人とか夫婦のような男女のパートナーシップがいちばん影響が大きいと思っています。

「どうやったらできるか。」

取り組み続けていると、ありとあらゆる課題が目の前に現れてきます。逃げたり、見ぬふりしたくもなりますが、「あーやだなー」っていう状態も感じながら、なるべく「どうやったらできるか?」を意識。じゃないと進まない。質問一つで、頭の中の会議の方向性は変わるもんです。

まとめ的な

脳内の自分をどう育てるのかって、結構大事だと思う。セルフパートナーシップ。出来事に対してどう反応するかが違ってくるし、当然そのあとに現れる現実が変わるから。全ての起きている現実は出来事の解釈次第。出来事は良いも悪いもなくて、ただただ起きているだけ。

言霊の力ってのはあると思っているから出す言葉には気をつけたい。むずいけど。脳内の対話=思考の癖って染み付いてたりもする。癖ってのはパターンでこれは必ずしも改善必須ではなくて、自分で「あ、パターンだな」って気づけるようになるだけでもだいぶ変わると思うのです。その上で、変えたきゃ変えればいい。

ちなみに「どっちでもいい」っていうのが強いと思っているのです。基本ワイはこのスタンスです。出来事はどう転んでも、なんとでもなるし、なんとかなるし、なんとかする。その中で「ここはこだわりたい」っていうポイントがたまにあるから、そこはこだわってみる。「これは好き!」とか「これはやだ!」とか「これはなんとしてもやりたい!」とか「この人に会いたい!」とかね。

ただ、究極「どっちでもいい」っていうスタンスがどこかにある。全ての出来事は運と縁とタイミング次第なので、自力ではどうしようもないこともあると思うのです。なんとかしようと力み過ぎず、軽やかに。

だいたいいつもいい感じ。 

頼るの苦手だなーって話

なんでもかんでも自分でやるって人。けっこう多いと思う。要するに人に頼るのが苦手。迷惑じゃないかな。邪魔になっちゃ悪いな。自分でやったほうが早いしな。自分でなんとかできるしな。うん、ワイ自身がそうなんです。

何でも一人でできるとこまでやろうとするし、人になかなか頼らないし、そもそも頼り方わかんない。頼ることが少し悪いことだと感じてて、頼ってねと言われても、まだまだ自分でやれるってやってしまうから、結局なかなか頼れない。「大丈夫!ありがとう!」は口癖。

いつもね「自分はまだまだ。」って自分に言ってるんだ。満足したらだめだ、みたいな。自分に対して厳しいな。もっと自分自身にやさしくしてあげたいよ。なんでできないんだろう。

でもね、自分で自分を褒めようと「自分。よくやってる。がんばってるよ。」って言ってあげても、意識高い自分が「いや!でもまだまだ。」って厳しい言葉をくれるんだ。まだまだ可能性はある。お前はこんなもんじゃない、っていう信頼の現れでもあるんだろうな。

ワイはどうやら自己完結しがちで、どうやら自己解決能力が高め。割と多くのことを器用にこなせるが故に、自分でやろうやろうとしがち。なにをやっても大抵60〜70点は取れちゃう、みたいな。もちろん苦手なこと、できないこともたくさんあるけどね。あとできるけどあえてやらない、ということもたまにはある。あえてやらないというか、あえて「甘えて頼る」ってこと。

わたしとあなたとわたしたち

ほんと独り身でずっと生きていけるんじゃないかと思う時も、ほんの一瞬あるけど、やっぱり人生を共に歩むパートナー、恋人は欲しい。友達とかとは違う関係性の中でしか築けないことは果てしなくたくさんある。

そういう関係でないと生まれないものはたくさんあるし、その関係性を育むことはとてつもなく多くのことを学べる。女性への気遣い、気配りとか、思いやり、愛情、オープンに対話とかシェアをしていくこととか。あとは自分一人では作れない二人で作るものとか。

お互いの価値観、想い、感情の共有をして二人のものを作る、とか。「I(アイ)」という自分だけとの関係性が、「You」」から「We」になる、あなたとの「わたしたち」という関係性。コミュニケーションを繰り返して、お互いを理解し、共感し合う。そうして愛とか関係性を育んでいく。

男はシンプル。「愛する人がおると、その人のためのエネルギーが湧いてめちゃめちゃがんばれる。」その人のためなら、どこへでもいけるし、なんでもやれる。守るために、攻める。

出会うこと

ひとはひとりでは生きていけない。いや、たぶん極論は生きていけるよ。でも孤独は毒なんだ。間接的にすべてのものは誰かが作っているとか他の人がいて社会が成り立っているとかいう話ではなくてね。ひとりでもたぶん生きていけるけど、やっぱり全てのコトは「人と人の間(あいだ)」から生まれている。

誰かと出会い、同じ空間と時間を共有し、言葉、表情、感情、たくさんのコトをやりとりして交換して、そこにナニカが生まれる。ってことを繰り返し繰り返ししていかないと、流れが止まる気がする。なんだろう。エネルギーというか運気というか、「気が回らなくなる」んだと思う。放ち、流す。そしたら巡り循環する。滞って濁ることなく、透明感が増して澄んでくる。自然の摂理。

そのナニカは友情とか愛情とか恋とかかもしれないし、なにかのアイディアとか知恵かもしれない。そして人間は基本的に男女の間から生まれる。この世の全てのものは誰かとの「間」からうまれていて、この先の自分の人生も誰かとの間で綴られていくんだ。

いろんなものを交換していくことで、知らないものを知ることができ、、世界が広がり、ひとりでは到底得られないコトをたくさん得られるはずなんだ。だから人と出会うんだな。会いたい人に会いにいく自由自在の幅をもっともっと広げていきたい。

まとめ的

もう少し肩の力抜いて、できないことを認め、知らないということを知って、「頼る」ということを意識してみよかな。自分だけでなんでもやっていく「自立」から、いい意味での「依存」ができるようになりたい。小さなことから。自分にやさしく。いつもなんかいい感じ。

「やればできる」という可能性に生きること

「可能性に生きる」ということ。なかなか踏み出せない、チャレンジできないということへの一つの解釈なのです。

これはアドラー心理学の「嫌われる勇気」に書いてあったかな。やらずにおいて、やればできる「かもしれない」という可能性のままにしておくというのは、楽なのです。なぜならばやらないですむからね。

どういうことかというと、やってしまうと、失敗して恥かいて、できない自分に出会うかもしれないから、そんな自分に出会うことに対して恐れを感じちゃうんですね。「そんな自分見たくない!」って感じですね。うまくいくかもしれないのにね。「やればできる」っていう状態のままにしておきたいのです。まずやってみろよ、って話ですね。

特にプライドの高い人(恥かきたくない)、自分のことをできると思っている人(できるイメージのままでいたい)、完璧主義な人(できると確信するまでやらない)は当てはまりやすいと思います。なんでわかるの?僕がそうだから。

やらないままにしておくことで「できる可能性」を残しておき、いつまでも「できるかもしれない」ままにしておくのです。「できなかった」にしたくないんです。

ヒトの可能性は限りない

個人的には、人の可能性はほんと限りないものだとは思っているし、踏み出せないのは自分を過小評価してる場合がほとんどかなと思います。ただ明らかに無理でしょ、な場合はあきらめがつくからいいけど、できそうな可能性を感じることだと、できない理由、足りないものが、自分の能力なのか、努力なのか、才能なのか、周りの環境なのかタイミングなのか、他の資源なのかわかりにくいんですよね。

そのわかりにくさの中にいると、たいてい「自分の能力不足か。」と自分を責めて、落ち込みます。「だからこそがんばろう」って立ち上がれるきっかけにはなるので、自分責めはダメじゃないのです。言い訳って決して悪いことじゃない。ほどほどにならね。
でも重すぎると深刻になりますね。「どうせ自分なんて。。。」
でも軽すぎても軽率になりますね。「まいっか。」

環境とか自分以外のせいにすると、「周りのせいにするなんて甘えかな。」と結局落ち込むんですよね。「やっぱり自分はダメだ。。。」ってね。かといって「悪いのは環境だ!自分は悪くない。」と開き直ると、自分をみつめる機会を逃しますね。また同じパターンで失敗するよ。どうやってこのどこまでが自分のせいなのかを判断するか本当に知りたい。

できてないとき、結果が出ないときって、やり方が間違ってるかやってないか、です。仕事選び、住む場所や過ごす場所も含めた環境選び、つながる人やともに過ごす人などの人選びも、やり方の中にあると思っています。

努力してるよ!その努力が間違っていると、実は結びにくい。うまくいってる人や経験者に聞くのが一番ですね。

在り方の大切さ

ここにもう一つ大事な要素があります。そもそもの土台となる「在り方」のとこ。「やり方」と「在り方」のどちらが先なのか。どっちも。前に進むときって、片方だけ出してても進まないでしょ。順番に交互に出すことで、前に進む。

どうしたいのか、何にワクワクするのか感じてみる。それをやってみる。やった体験、感動から、またどうしたいのか感じてみる。これの繰り返しで、自分の在り方が少しづつ形作られていくと思っています。

相手選びも大事だね

そしてよくあると思っているのが、やりたいことや夢を話す相手の選び方の間違い。

自分のやりたいことを、やったこともない人、そもそも冒険をあまりしない人に、仲がいいから、なんでも話せるからという理由で話すると、「やめときなよ」「あぶなくない?」「失敗したらどうするの?」「なんでそんなことするの?」という反応が大抵返って来ます。その人はやったことがないからね。

これがまたおもしろいことに、どんどんチャレンジする人、いろいろやっている人に話してみると「いいじゃん!やってみなよ!」「おもしろそうじゃん!」「それやるべきだよ!」って返って来ます。なぜなら、やったことがあるから。そしてやることの大切さをわかっているから。

その相手は、「自分」でもある

これって、自分の中の自分との会話も一緒。よく会話してますよ。「やってみようか。でもこわいなー」「いやいや、やってみたらいけるかもよ。何が怖い?」「こことここが不安なんだよねー」「そうだよね。それが起きたらどうする?」「ここはこうしたら大丈夫かも。これに関してはやって体感せんとわからんね。」「よし、じゃあ、やってみよか。あとはやりながら考えよ。」とかね。

うまくいこうが、うまくいかなかろうが、どっちでもいいと思っています。もちろんうまくいくに越したことはないのですが、それに取り組むプロセスから得られるものの価値の大きさを知っているからです。何か取り組むことの結果も大事ですが、その過程で得られるものが、とんでもなく大きなものをもたらすのです。

まず一歩が大事。こうなったらやろうとか、条件揃ってから、とかやってると一生条件だらけになって何も進めない。納得できる状態で、進みたいけどほどほどに。

失敗なんてすればいい

なかなか動けないときって、なんで動けないのかちゃんと見つめるといいと思います。何に恐れを感じているのか。何が怖いのか。何が足りないのか。それはなくなることはありませんね。でも、知っていてやるのと、知らずにやるのとでは違う気がする。

まず、やってみな。どうせ失敗するから。それがわかってたら、何か起きても「きたきた。やっぱ壁に当たったよ。さーどうしよう」ってきっとなるよ。僕は毎回そんな感じ。ときどき「うそやんっ」っていうくらいでかい壁もあるけどね。

失敗したらカッコ悪い。ってのあるよね。逆の立場で考えてみると、友達がチャレンジをして失敗したとき、「ださっ」って思うのかな。あんまり思わない気がする。むしろチャレンジもしないであーだこーだ言ってる方が「ださっ」って思う気がするよ。少なくとも現実にチャレンジしていることに対しては「カッコ悪っ」って思わないよ。

失敗上等。同じ状況に陥った人に、アドバイスできるようになるじゃん。

大きい結果出さないとカッコ悪い。ってのもあるよね。違うよ。だれもがみんな小さい結果をコツコツ積み上げてるよ。そんで今見えている、眩しいくらいの結果があるんだよ。継続は力なり。

どうしても踏み出せないなら、やめればいい。むしろ、やめときなって思う。手放すとまた見えてくるもんがあるよ。やっぱりやりたい。とか、やめてこっちにしよう、とか。

まとめ的な

偉そうなことは言えないけど、ほんといろんなチャレンジをして、いろんなことやって、いろんなことが見えて。まだまだ見えてない部分もあって。やればやるほど、経験値が得られて、自分の中の軸も少しづつしっかりしてきて。

本気でこのままじゃ嫌だ!現実を変えたい!って思うから動ける、気がする。いまやっている物販も、あーでもない、こーでもないと試行錯誤しながら少しづつ結果が出てきてます。やってみてわかることだらけ。ほんと決めて、動いて、スタートしてよかった。そして継続は力なり。

あーなんかいい感じ。だいたいいつもこんな感じ、だな。