エゲツナク、ブットビタイ

無難に生きてきた。もっと自由に生きていいと知った。ぶっとんでみたい。ぶっとぶまでのリアルな軌跡。

「気」を使いたい(単語として)

「余裕と気配り」のことからいろいろと気にまつわる表現が気になったのです。

なにかを感じたり湧いてきたりするのはたいていなにかと出会ったときが多いと思う。人といたり、人と会話をしたり、外に出かけたりしたときほどに新しいことに出会って刺激を受ける。

そして、なにかしら感情の動きがあるからこそなにか感じるものがあったり、なにかが湧いてくる。

ひとりでいたり、家に引きこもってたりして変化の幅が少ないことが多いゆえに、少し出かけて人と会うだけでも大いに刺激になるものです。外にでなきゃだけどねぇ。気が乗らんねぇ。

ちなみにこの先の「気」に関する表現は、単語そのままよりはたとえば「気配り→気を配っている」という言葉の意味として「気」の動きをイメージして読む方がおもしろいかもしれませんね。わかりにくかったらすまん。あえてめっちゃ「気」の表現使います。

余裕と気配り

自分で言うのもなんですが、わりと気配りはできる方だと思っていたけど、余裕がないと気配り、気遣い、心配りはなかなかできないものだなぁと思ったのです。

相手によるか。気のしれた相手ならお互いの気を知ってるからこそあんまり気を使わずに自然体でいやすくなるんだろうな。身構えて気を張る必要もないし、変な気を回さなくてもいい。「気心の知れた」ってやつですね。

そして気の合う人は居心地がよい。だって「気」が合ってるんだし。その上で、無理なくお互いに気遣い気配りができるんだと思う。

これが気が合わない相手で、一緒にいるのが気の進まない相手だと、気を張ってしまって妙に気を使ってしまう。気が進まないので、気が乗ってこないし、結果、気を使いすぎて気疲れする。気は有限なり。

うん、気の表現が多すぎて読むのに疲れるな。ちょっと気の利かない文章表現だなぁ。

「気」はあったり、なったり忙しいな

異性に対して「気がある」っていうけど、自分の気が相手にある状態で、すなわち興味関心が相手にあるから「好意がある」って解釈なのでしょう。

これまた、気のある相手だと、なんだか気配りとは少し「気の置く位置」が違う気がするのです。なんとなくなんでうまく説明できませんが。

相手の価値観とか考えとか趣味嗜好、好きなモノコト、嫌いなモノコトなどなど相手のことをもっと知りたいと思う気があるんですね。異性としてだったり人間としてもだったり、相手が「気になる」ってことですね。

たぶんその「知りたい!」という気持ちが強くて、そこに気を回しすぎると、気配りするところへ気が回りにくくなるんだろうな。変に考えすぎてしまったりね。

うまく気が回せてなかったかもしれないなと感じたので、分析してみたまでで、相手がどうとらえてくれてるのかはわかりません。変な気を使っていたわけではないんだけども。気を悪くしてることはないと思いますが。

少なくとも気が合うなって思うからこそ、縁があってつながって気のしれた関係になったり、気のある相手になったり、気の許せる関係になったりするんですね。

好きな理由を説明できないという「だって好きなんだもん。理由なんて知らんよ。」ってのも「気」というものを説明しづらいのと関係してるのかな。それって雰囲「気」とかだったりしますもの。

ちなみに、「○○だから」とかいう条件とかの好きという気持ちは、その○○がなくなったり変わったらどうなるんだろうって思う。全くないわけではないけど、○○だからってのばっかりだと他にもいるじゃん、とかなりそう。

たとえばね、背が高いから、笑顔がかわいいから、しっかりしてるからとかだと、その人じゃなくてもいるじゃんってなりそう。

だったら理由のない好き、「だって好きなんだもん」のほうが長く続く気がするし、さらにいうと相手をいいとこも悪いとこも知った上で「あなただから好き」ってのが最強な気がする。気のせいかもしれんけど。

まとめ的な?

「気」にまつわる表現を意識的に使いながら表現してるとおもしろいなぁ。

目に見えないものも結構おもしろいなってことです。知らんけど。

わかっちゃいるけど、やめられない【妄想のこと】

妄想にとらわれがちなのって損だなって話ですよ。

うん、自分の話なんですけどね。だれにでも多少はあるのかな。

人間関係の中で存分にはかどってしまう妄想のドラマ。そこから変な思い込みや勘違いや誤解につながることもある。勝手な推測。都合のいい解釈。

「こう思われてるだろうな…」

「たぶん、こうだろうな…」

たぶん、ワイ自身が妄想にとらわれすぎて今までにも人間関係において、たくさん損してきたこともあるんじゃないかな。それすら気づいてないこともあるだろうし。知らんけど。

ただ、妄想自体は以前よりはましになったかも。

「また妄想してるわ笑。全部作られた妄想やで!」っていう思考ができるようになったのと

結局は『直接きいてみないとわからない』ってことを知ったから。うん、当たり前なんだけれども。ちゃんときいたら勘違いや誤解が解けることも多い気がする。確認は大事。

逆もまたしかりで『言わなきゃ伝わらない』です。うん、当たり前なんだけれども。なかなか難しい。

そもそも「伝えたいのか、別に伝えなくてもいいのか」の前提もあるか。

まずは、その人と「どうしたいのか?」「どうなりたいのか?」の問いかけ。離れてもいいならそのままに。どっちでもいいならタイミング次第。いい関係を築きたいならアプローチ。

親密度によって、きけるかどうか、言えるかどうかもあるとは思います。

ワイ自身は「(究極な話)どっちでもいい」というだだっ広いグレーゾーンがあるので、そのままなにもしなかったことも。以前よりは本音を伝えられることも増えたけど、まだまだだなぁ。相手によるか。

ちなみに妄想自体は悪いわけではなくて、その泥沼に知らぬ間にはまってしまうのが怖いなぁと思うのです。

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最近どこそこに出かけた!とかこんなことあった!とかあんまりないので、こんな頭の中のことばっかり。

人とのふれあいの中で、どんどん湧いてくる時期がたまにあるので、自分が頭の中をスッキリさせたいだけ。自己満です。

人によってはおもしろくないかもね。すまんね「あ、そんな考え方もあるのかー。」と、なんか役立てばうれしいかも。

外にはあまりでないけど、内なる自分の価値観にふれたりはすることは多いかな。Inner Journeyとそうしろうさんは言ってました。

こんな日々でも楽しくすごしてます(^^)あーちょっとスッキリ。

人間関係のことで思ったこと。似た人もいるのかも知れないね。

テーマが二つ出てきた。
ひとつは友達の定義ってなんぞやか。もう一つはワイの基本スタンスについて。

たぶん友達の定義って人によって違うと思っていて、かといって「何かをしたら友達」って線引きがあるわけでもない。いきなり結論だけど、定義なんてわかんない。

友達だから何でも話せるとか、友達だから何でも許せるというのはわからんでもない。でもそれができないから友達じゃないかっていうとそうでもないでしょ。これはもはやスタンスの違い。

で、それをできないから友達じゃない、とかのたまうのであれば、「去るもの追わず」と「(究極な話)どっちでもいい」の基本スタンスを持っているので「じゃあしょうがないね」ってなる。めっちゃドライなとこがある。

たいてい本当は「さみしさ」があるくせにさ。その離れてしまう悲しみすらも自分だけで抱えようとする。あ、ガチでさみしさがないパターンもたくさんありますよ。

しょうがないっすよねって感じ

まぁしょうがないじゃん。どれだけ深く何でも話したりできるかのスピード感なんて人によって様々だし。早い段階でカラッとさらけ出す人もいれば、じわじわ少しずつさらけ出す人もいる。さらけ出さないままの人もいる。ワイはじわじわとしか出さない。

友達に話せないことを知り合いレベルの人に打ち明けられることもあるし、友達の中でも、この人にこの話題は話せるけどこの人にこの話題は出せないな、とかあってしかるべきだと思うのです。しゃーない。

「去るもの追わず」とはいえ、それが好きな人だと少し追いかけようとします。ワイのスタンスは友達と好きな異性とで違う。ただ一応、誰に対しても同じ時を過ごすなら、「せっかくのこのご縁だしなかよくやれるといいな」ってのは思ってる。

運と縁とタイミングがつながって出会い、ハプニングとフィーリングでよりわかりあえるのかな。ただただタイミングの問題で「今じゃない」なんていくらでもあるよね。だからこそ、出会った縁は奇跡的なタイミングで出会ってるわけで、基本的には大事にしたい。

心の扉

そもそもワイ自身はなかなか心開かない。小中学校時代のいじめられていたことが大きいと思うけど、「人はどうせ裏切る」「人を信頼しきれない」という考えが根深い。心の冷たい部分だな。凍ってる。

二人とかだと普通なくせに、学校だと一緒にいじめてくる。むしろ主犯。遊ぶ約束をしてもすっぽかしもあった。きつく当たられた先生もいたな。職員室とか他の先生がいるとにこにこ話しかけてくるくせに。

「人間ってなんなん?友達ってなんなん?人は信頼できん。一人で生きれるようにならねば。」ってなってた。だいぶん和らいだとは思うけど、やはり根深い。わりと器用になんでもこなせるのはここから来てるのかもね。一人で何でもできるようにならねば、っていう。

いつも警戒心というのか、どこか心の中で裏切りとか離れることに対する準備をしてる気がする。めっちゃ警戒してうなってる子犬みたいな。そんなかわいくはないか。

そりゃ相手からしてもなかなか心開きづらいよね。振り返ってみると心から信頼できたのは家族と恋人だけじゃなかろうか。あと数少ない親友かな。

「この人といると何でも気が許せて、安心できる。」
っていうパートナーを求めている気がするよ。癒されたいんだろうね。「大丈夫だよ」ってね。たぶん泣くわ。

それでも「あなたがいなきゃダメ!」というほど依存するわけではない。ともに自立した上で、それでも一緒にいたい、と思えるのは大事だと思う。

友達と思う人に対しては

でもね、多少なりともワイの基準で「トモダチ…」って思う人に対しては自己犠牲をしてまで「なんとしても可能な限りのお主の期待に応えたい」という心が働くようになっております。

そういう性質なんよね。そしてそれができなかったりすると「まだまだ拙者の修行が足らぬ」と、自分責め。「自分が未熟だから、成長して強くなればいい。」と思ってる。このあたりはも少しゆるーいスタンスでありたいな。

相手のスタンスに関係なく、でもこっちは友達だと思っている場合、何か困ったときはたぶん助けるし、そうしない理由はない。だって友達だろ。「好き」に理由がないのと一緒。「だって好きなんだもん」の感覚。

ドライといいつつも、好きな人、大事な人に対する想いは出さないだけでなかなか大きいのです。出さないから伝わらないんだけどね。勝手に想ってるよ。

共有の量が信頼の量につながる

何でも話せたり許せるのは、「信頼の深さ」なんかなぁ。それだけ信頼してるから友達だろって。それを作り上げるのは、共に過ごした時間の長さと、共に過ごした対話の深さによるんじゃないかな。

どれだけ自分を出せるのか、どんな自分を出せるのか、どれだけ自然体でいられるのかどんな自分で居られるのか。どれだけの喜びや楽しさの表に出やすい「陽」を共有できるのか。どれだけの悲しみやつらさやなかなか表に出さない「陰」を共有できるのか。

もうね、相手によりますね。基本的に弱みを見せたくないし、人前では泣きたくないし、泣かない。強がるし、カッコつけたがるし、プライドが高い。めんどくさいな自分。

ここ数年で、書き連ねたような闇(?)な自分をたくさん知った。知ったというか気づいた。まだあると思うけどね。気づいたことで「しょうがないよね、それも含めてワイだし。」ってとこと「しょうがないよね。でも対応してよりよくなれたらいいな。」ってとこも出てきた。

いろんな本質を知って、変えていけるように意識はしてるものの、人間関係とか人とのコミュニケーションって難しいなぁって思うんよ。ほんとコミュニケーションはヘタ。めちゃ不器用。

 

でもね

昔より笑顔で一緒に過ごせる人にたくさん出会えた。

時間とか場所とか「間(ま)」が空いても

まるでそれがなかったかのように再会できる人が増えた。

少しずつドライな自分に潤いが与えられ

少しずつ凍ったところが溶けてきてるのかもしれない。

少しずつ人間社会で生きていけるようになってるのかもしれない。

しらんけどね笑

いろんなパターンあるよねって話

自分自身のパターンを知ることって大事だなぁとつねづね思うのです。よいものももわるいものも。いろんなジャンルでいろんなパターンはあるはず。健康、仕事、お金、人間関係、恋愛とかとか。

ワイの場合の「失敗する」というか、うまくいかなくなる、痛い目に遭うパターンがひとつあるのです。

それは「調子に乗ってしまう」こと。

気分よく、心地よく物事を進めているのとはちょっと違って、調子にのって「楽勝~♪」とかやってると大抵コケます。

なぜなら地に足が着いてない状態になるからだと思ってます。浮ついてる、そんな感じ。現実をちゃんと見つめられてない、そんな感じ。「恋は盲目」に近いものがあるかもしれませんね。

言葉遊びですけど「浮かれて」いるから、ふわふわ浮いていて地に足が着いてない。そんなふうに調子に乗ると痛い目にあって浮いてるとこから「落ちる」のです。そして地に足が着いて、落ち着くようになるのです。「落ち」て「着く」から「落ち着く」というわけですね。知らんけど。

とはいえ気をつけていても、まだまだなかなか気づけないこともあります。

はまってしまっていたそのパターン

最近も物販業の方でそのパターンに陥っていたことに気づき、仕切り直しをしています。その最中ではね、なかなか気づかんもんです。

「海を泳いでいる最中には海の広さはわからんよ」

バガボンドという漫画で胤栄が宮本武蔵にそう語ってたのです。ごもっともです。何事も執着しすぎずに、距離を置いてみてわかることもたくさんあります。

うまく泳げないな、とモヤモヤと不安を感じてきたので、無理に泳ぎ続けることを一度止めました。そのまま泳いでたら、溺れてしまってたな。エグい。

そして現実の状況整理をし、モヤモヤした不安をはっきりさせ、対処法を明確にして改めてゆっくりと泳ぎ直すことにしました。

いろんなジャンルにおいて、自分なりのパターンはあると思うのですが、うまくいくパターンももっと見つけていきたいものです。本質的な勝ちパターンを。人生そんなに甘かぁない。

パターンは、くりかえす

びっくりするほどパターンは繰り返します。本質的なパターンをとらえるのが大事。むずいけど。

けれども性格とか考え方、価値観からくるパターンはなかなか変えられるものではないと思います。ほんまにむずい。

なので、それに対しては対処法を考えておいて被害は和らげればいいし、そしてうまくいくパターンは活用していい流れに乗っていけばいいと思う。

もちろん当てはまらないパターンも今後たくさんあらわれるのだけれど、その都度、更新したり、組み替えたり、選びなおしたりとにかくパターンに気付いて対処すればよいのかなと。

むしろ当てはまらないパターンが来たりするとワクワクしますけどね。恋愛ネタが好きなんで、そっちの話にしますけど、恋愛はほぼその都度当てはまらないパターンだらけ。

女心はわからない。そもそも人のことなんてわからない。だから執着しすぎずに、距離を置くのも大事。間合いを保つことですかね。むずいけど。

なにはともあれ、ワイにとっては「調子に乗らないこと」が大事。ほんでどんなパターンがきても「ほほぅ。面白くなってきよったな。」と受け入れる柔軟性と好奇心は持ちつづけたい。

生きるってシンプルでややこしい。リラックスリラックス。

妙な停滞感とそこからの脱出しそうだよの話

ここ2ヶ月近く感じていた停滞感。
原因は「現状で『苦』じゃない」のと、次に進む方向や狙うモノを「決めて動く」をしていないからでした。

そもそも(自分の力で)お金を稼ぐという経験をしたかったのもあり、今やっている物販事業に取り組み始めたんよね。

もうね、この「お金を稼ぐ経験をする」って願いは叶ってた。大事なのここなんよ。叶ってんの。やっちゃってたの。ステージひとつクリアしてたの。で、次のステージに向かうこともなく、踊り場でずーっとうろうろしてた感じ。ぶらぶら。

クリアしてたことにちゃんと気付いて、ちゃんと自分で認めて受け止めてあげてなかったから、周りに認めて欲しくて自慢げになってたし、だいぶイキッてたわ。ちっちぇえ。だっさ。

しかもいつの間にか勝手に「お金を稼ぐ体験をする」って願いを「月30万稼ぐ」にすり替えてて、そのままなんとなく進もうとしてたから、気持ちとエネルギーがかみ合わなくなってた。

さらにね、夜勤の仕事を週3に減らしてて、お金にそこまで困ってる状態ではなくなり、時間の自由度もあがった。ワイにとっては人生初のこんなすてきな状態に対して、全く「苦」を感じてなくてむしろわりと満足してた。

満足したら成長は止まる、ってわかってたし、意識高い系なのでいつも言い聞かせてたのに。求める理想はもっともっと高いはずなのに。「笑止。ぬるいわ。こんなもんじゃねぇだろ。」って内なる自分がなんか高いところから言ってくる。こんにゃろ。見とけや。

◆ そ ん な わ け で ◆

はい。ちゃんと受け止めます。お金稼ぐ体験できました。で、次の狙うモノもちゃんと決めました。これをやるってことを決めました。だってもっともっと自由自在に羽ばたきてぇもん。物販事業を次のステージに拡大していくことと、新しく2つのことをまずは体験すること。

決めるとね、不思議なもので頭も動き始めるし、エネルギーも動いて回り出す、ような気がする。またステージクリアしたときに同じことに陥らないようにしなきゃね。決めて動く。そしてやり続ける。これにつきる。

なんか取り組んだり体験すると、リアルにいろいろ見えてきますね。

動いて、止まって、淀んで、また動き出して、流れて、そのサイクルを繰り返す。周期、パターン、リズムともいうか。現状で楽しく過ごしてはいたので、止まってたのがだめとか悪いわけではないけど。「おめぇの行きてぇとこはこんなもんじゃねぇだろ?」って感じかな。

休んでもいい。またいろんな経験をすればいい。たくさん練習して上手になればいい。決めて動く。ただそれだけ。考えながら努力する。それを誰もができないくらいやり続ける。世の中シンプル。

うむうむ、なんかいつもいい感じ。

コミュニケーションベタって思ってる

常々コミュニケーションって苦手だなーって思うのです笑。あ、ちょっと長いけど読みやすいっていわれるので、読むの苦じゃないと思いますよ(*´-`)

よく「何を考えているのかわからない」とか「たくちゃんの本音がわからない」とかわりと言われるんよね。相手に合わせて、自分の思ったこと感じたことを抑えて合わせてるからというのも大いにあるみたい。

あと、「いい人」ってよくいわれる。や、べつにいいんですけど、いい人って、なんか「いい人」なんですよ(笑)それ以上でも、それ以下でもない、みたいな。あまり自分を出さないから可もなく不可もなく、いい人。ふわふわ、優しそう、自己主張しなさそう、みたいな。

◆苦手だと思う原因は色々◆

人を深く信頼できない、ってのはどっかあるなー。「思ったこと言って嫌われたらどうしよう」とか「意見出してぶつかるのも嫌だな」「意見出して否定されるのも嫌だな」とか考えて相手に合わせるってことをしょっちゅうやる。びびり。

自分の意見とかの出し方というか表現方法も、上手じゃないんです。たまに思ったことそのまま出すときはね、言葉選びが雑になって、表現が乱暴になることもある。これはよくない。ほんとごめんなさい。

反射的に「いやだな」って感じてることを出すときは、いやな感じの圧を出してしまうことも。当然、それは相手にも伝わる。よくない。ぶつけるんじゃなくて置きにいこう。反射的にならず、感情をのせすぎずに、湧いたことに言葉を添えるだけ。

言語化も苦手。というか時間がかかるのかな。映画とか本とかの感想聞かれると困る。その時々で、感覚的にキャッチしている感じなので「今きかれても出てこないよぅ」ってなる。繰り返し見聞きすると、だんだん染み込んできて、そのことについて時間とれば言語化もできてくる感じかな。こういう文章もわりとそう。

◆ 恋愛ネタ的な ◆

あとあれ、よくあるやつ。男性は誰しもがもきかれたことのあるであろう、「私のどこが好き?」ってやつ。これめっちゃ困る。ほんまに困る。もちろん好きなんですよ。好きに理由なんていらんでしょ、ってのは伝えたい。丸ごと好きなんだわって。

でも「わたしのことわかっていてほしい」ってのがおそらくあると思うので、考えますよ。あのときのあーいうとことか、えーとこういうとことか、、、この部分とか、すごく抽象的だけど思い浮かんでいる相手のこと。うまく説明できない。のでとても無難になりがち。じっくり言語化するための時間欲しい笑

感覚的に「好きやねん」ってなってるので、結局丸ごと好きって感じではあるのだけど、まぁ納得はされにくいよね。「わたしのことほんとにわかってる?」ってなるよね(笑)

◆ まとめ的な ◆

話が逸れた気もするけど、言いたかったこと。

これからはですね、もう少し自分の思ってること、意見は出していこうかなと思ってる。練習しながら。

もうね、コミュニケーションに限らず、ほんと練習あるのみ。こうやったらどうかな?こういうやり方もどうかな?ってやってみて、試してみて、失敗して、またやり直して。考え方をちょっと変えてみよう、在り方はどうかな?とかとか。

はーなんかすっきり。自己満の長文でした。
うんうん、なんかいい感じ。

人と比べちゃうラビリンスぐるぐる

去年フィリピンのカミギン島に2ヶ月滞在したとき体感したこと。あきらかに、モノがあふれて何でも手にはいる便利な日本よりも不便に感じることが多いはずなのに、現地の人って本当に幸せそうな豊かな笑顔にあふれてた。

モノがあれば豊かとは限らなくて「なくても幸せに生きれんだな」って感じて物欲は減った。「持ってる人」に対する「いいなー。うらやましいなー。ほしいなー。」っていう比較して嫉妬する気持ちはだいぶ減った。

モノに関しては。でもやっぱり人との比較は、はまるとなかなか抜け出せない。ついついやっちゃう。

◆ 自分探しの迷宮 ◆

最近「自分らしさってなんなんだろう。」の迷路に迷いこみかけてて、いやいや、迷ったか。ひとつのツールとして占いの言葉(主にしいたけ占いと石井ゆかりさんの本とかの占星術系)とかで自分を知ろうとした。少しわかった気もする。めっちゃ参考にはなってる。でもよけいにごちゃごちゃしてきた。占いとかは程々にして、ちょっと手放そうか。参考になりました。ありがとう。

仕事とか人間関係とかノウハウ系の情報、いわゆるやり方は情報として取り込むんだけど、結局は在り方ありきなんだなって改めて思いました。

わからん迷路に迷い込めば迷い込むほどに、人との比較が始まった。あの人はすごい。それに比べてワイは全然結果出せてない。ワイはたいしたことはなにもできない。まだまだ全然しょぼい。「どうせワイなんて…」の自己否定。

なにができるんだろう。価値はなんだろう。魅力ってなんだろう。男らしさってなんだろう。なにが向いてるんだろう。価値がわからない。

おぉぉ。少しだけど、気持ちが一気にドンと落ちた。めっちゃ孤独を感じて、湧いた感情は「泣きたい」と「癒されたい」だった。要するに「愛されたい」の気持ちか。まずは自分自身で。大丈夫だよって。

こういうときって、無理やり気持ちをあげようとしてもめちゃエネルギーいるし、その場しのぎ。だからなるべく見て見ぬ振りとかごまかしたりせずに「なんでこんな気持ちになってんだろう」とかいろんな質問をして掘り下げてった。

「おのれはまだまだ全然なんもできとらんぞ。」って感じで自分に対して常に「まだまだ」って厳しいけん、たまには優しくするっちゅう意味で「過去の自分と比較してできていること」を思い返して感じてみた。結構がんばってんじゃん、ワイ。よしよし、よくやっとるよ。

ほんで「どうなりたいん?どんな在り方がいいの?じゃあどうしよう?」ときいていってみた。そこは変わらん。自由自在の幅を広げ、地球の役に立つことをして、地球で遊ぶ。いつもかろやかに自然体でいたい。そう、自然体。理想を追いかける。ロマン。

◆ いまできることをやる ◆

どんなにあがいても今できることは「いまやってることをひとつひとつちゃんとやる」こと。「できることしかできない」んだ。そりゃそうだ。じゃけん楽しんで、やる。

ほんでね、いま、やっていることって自分で決めて選んでる。流れとかナンカよくわからない力が働くときもある。でも仕事も生き方も人間関係も環境も選んできた結果。そこにええも悪いも本来はない。いろんな感情が渦巻くじゃろうけど。

その「いまあるもの」を「これでいいのかな…」って不安がまったくなくなることはねぇけど、自分で選んできたんだからこそ、「自分の決断」を信じてあげたい。ナイス自分!生きるセンスあるね!

◆ 自分を知ること ◆

人との比較ってダメなことじゃないんだけど、そればっかやってるとキリがない。部分部分で比較してたら絶対勝てない、敵わない人はいくらでもいる。それよりも自分の色を伸ばすってことに意識を向けたほうがいいんだろうな。自分の色、フィールドを知る。それのかけ算。きっとなんかあるはず。

自分を知るためには、もちろん主観も必要。でも客観視された「自分では知らないけど他人が知ってる自分」に出会うのも大事だね。自分像が浮き彫りになるし、そう見えてんのかって発見もたくさんある。それはたしかに占いの類であったり周りの人から言われたりする自分についてのこと。

あとは過去の自分からも自分の原点に触れことができる気もする。ほかには「たくちゃんってこーゆうとこあるよね。」って言葉にはドキドキとワクワクを感じる。えっ。なになに?教えて♪ってなる。

そして自分も他人も知らん、まだまだ「未知」の自分との出会いもまたおもろい。これはたぶん、いろんなことを経験してみんとわからんし、いろんな人と出会って対話して見つかるかともあると思う。「経験する」という点がどうつながって線となって形を成すんかはわからん。だからこそいろいろやってみようと思うよ。

◆ 悩み?苦労? ◆

あいかわらずの自己完結能力と妙な「運命を受け入れる」感で、なんか悩みが悩みになりきらず、苦労を苦労と思っていない感がある。たぶんたまには周りの人に「助けて。」っていっていいんだろうけど、なかなかいえない。

悩みぽくなってもシンプルな「たぶんこうでしょ?」っていうのを目指しながら考えてるつもり。でも悩みを人に話したりして「いや、こーゆう捉え方もあるよね」って話が広がるのはまたおもしろい。ワイはこうだけど、あなたはどう?ってね。

苦労かもしれないことも「うーわ、しんど。」って落ちたりしんどく感じることはたしかにある。でも運命を受け入れる感が働いて、わりと「これくらいの試練は当たり前でしょ。やれやれ、楽しくなってきたのぅ。」ってなることが多い。

◆ そういえば ◆

そういえば人には恵まれてるなーってしみじみと思う。ほんと結局大事なのは人だね。

大事にしたい人が少しずつ増えて、今までの縁はとてもありがたくて、これからの出会いや出会い直すこともまた楽しみで。コミュニケーションはヘッタクソだし、人間関係は不器用。だけど、もっと人に興味を持って丁寧に接していこうと思う。

今回は最近はまっているレゲエのワークショップで作った歌詞でしめてみます。

『感謝を込めて みんなに届け
 願いを込めて 銀河に届け
 愛を込めて 君に届け
 幸せをありがとう』

そしてこれからもこんなワイだけどよろしく。