自分のテーマをさらけ出していくよ
だれかの役に立てばうれしいな
■自己承認というと■
ワイは他人の目をよく気にする
見て欲しい
聞いて欲しい
かまってほしい
気づいて欲しい
認めて欲しい
わかって欲しい
ほめて欲しい
いて欲しい
笑って欲しい
愛して欲しい
・
・
・
「してほしい」だらけ
あなたもそういうのありませんか?
それはあってはいけないもんではないけど
ワイはちょっと度がすぎるのです
それが言動の表現に出てしまうと
自己アピールがですぎたり
かまってちゃんのようになるのです
他人の評価や目を気にしてるけど
そもそもあなたは自分で自分を見てる?
ってこと
大事なのは
『あなたが自分で自分のことを満たす』ということ
「他人にこうして欲しい」
と思うことを
まず自分にしてあげること
うんうん、ワイはワイ自身のことを
見てるよ
聞いてるよ
気づいてるよ
認めるてるよ
ほめるよ
一緒に居るよ
愛するよ
・
・
・
みたいな感じ
そもそも表現する言動自体が
「他人にこうして欲しい」
と思っているからやろうとしている
というあなた自身に気づくこと
「あ、今ワイは注目を引こうとしている」
「あ、今見て欲しがっているな」
「あ、今気づいて欲しがってる」
気づくからやるかやらないか選べる
気づいてからやるかやらないかを選べばいい
見て欲しいけど相手がすぐにいない時あるよね
そんなときは
「天が見てるよ」
てのもおもしろいよ
「〜してほしい」と求めていることが
自分を認めて欲しいから
という気持ちからきているならば
それをまず自分で自分にしてあげる
そしたらそれは
あなたが自分を大事にするということにつながる
極論だけど
FBの投稿は人の承認求めてるよね?
とも言えると思うけど
ほどほどなら
「〜してほしい」というのは必要な気持ちなのです
この気持ちはあってはいけないものではないけど
ワイはToo Muchなとこがあるからテーマとなってる
■具体例あげてみる■
やっかいなのは
そのまま「〜してほしい」と表現されるとは限らない
多くの場合は気づかないうちに相手の承認を求めてる
「ワイはこういうことをやってきたんだよね」
→すごいでしょアピール
→価値あるよアピール
「〜しといたよ。〜しといたからね。」
→やったことのアピール
→気がきくアピール
「これおいしいよ!おいしいでしょ?」
→共感してよアピール
「それってこういうことだよね」
→わかってるよアピール
「あ〜知ってる知ってる」
→知ってるよアピール
見て欲しいとか気づいて欲しいアピールの行動も
文字にしにくいけどいろいろあるのね
「やったこと以上にやったことを言う」傾向があり
それは大口を叩くと言う意味ではなく
例えば
「自ら入れといたよ」
「置いとくよ」
「水入れといたからね?」
という感じで畳み掛けて
《やったこと=水入れといたこと》
を「置いとくよ」の一言でいいのに
何回も言ってアピールしてるのです
そういう意味で
「やったこと以上にやったことを言う」
ということ
相手が気づいてなければ
「置いとくよ」の一言でいいし
すこし気遣いを加えると
「水入れといたから好きに飲んでね」
だけでいい
■自分のことなのです。。。■
上に書いたことは
全部自分が実際にやっていることなのです
もっといろいろあると思う
あぁ恥ずかしい。。。
どう取り組んでいるかというと
まずは気づくこと
そして選ぶ
長年染み付いている習慣は手強い
おもしろいもので
気づくように意識していると
「お前、いま認めてもらいたくてそれやろうとしてるだろ」
「あー、確かに。この発言はTooMuchだわ。」
という客観的な自分との会話ができます笑
この自己承認のことって
結構ね
自分の恋愛パターンでも
実例があるなと気づいたのです