エゲツナク、ブットビタイ

無難に生きてきた。もっと自由に生きていいと知った。ぶっとんでみたい。ぶっとぶまでのリアルな軌跡。

自分をさらけ出すことへの「恐れ」について

気づいたのは今の派遣の職場にて。たぶん自分を出すことに恐れのある人にとって参考になる話。どこで気づくかわからんもんだな。

The いい人

僕はいい人であろうとする。なぜならば、嫌われたくないから。そして受け入れてもらえないことや、受け入れるどころか批判してはねかえされることを恐れるから。

今の職場ですごく会話をしてくる子がいてゴリゴリ質問してくるんですね。会話自体はめっちゃ面白いからいいんだけれども。前職でもそうだったんですが、職場の人とプライベートで繋がるのを避ける傾向があって特にSNSは一切つながらないのです。

それは「話が合わない」と思っているからでもあり、波長の合わない人に自分をさらけ出すのもイヤだし、踏み込まれそうになると間合いをとるキャラが湧いてくる。

「休みの日とか何してるんですか?」
きた。決まったことしてるわけではないし説明するのめんどい。プライベート明かしたくない。
「あー、いろいろ。シェアハウスに誰か来ることもあるから交流したり。」

「どんな部屋なんですか?写真とか見せてくださいよー。Facebookとかやってないんですか?」
うっわ。もう限界。踏み込まないで。
「職場の人とSNSで繋がるのなんか嫌なんだよねー。」

と言った瞬間に

「あれ?なんでイヤなんだろう?」と心の声。
「ほんとうにいやなの?本当はどうしたい?」という心の声。

「なんでですかー。いいじゃないすかー。」
まぁ、そこまで拒否しなくてもいいか。
「うん。なんとなくね。まぁ、そうだねー。」

この辺ではまだ「なぜイヤなのか?」はわからない。プライベートと仕事はわけたい、と思うからだと思い込んでいるんです。

その少し後に、その子が
Amwayとかやってないですよね?だったら僕しゃべらないすよ。」
ま、ふわっとした説明してたらそりゃそう思われるよね。
「あ、そういうのは一切やらないよ。昔やっててもう二度とやらないって決めてるから。」

ここで気づいた。

自分をさらけださない理由に。

その理由をちょっと考えてみた

そもそも、さらけ出した自分の姿、考え方、在り方、やっていることというのは、当然誰にでも受け入れられるということはないはずです。さらけ出すことで、そこを突かれるのを恐れていたのです。批判。否定。無視。仲間はずれ。離れていく。いじられる。傷つく。バカにされる。とかとか。

だから無難にいい人であろうとして、当たり障りない感じだったり、距離感や壁を作ってしまう。そうすると批判も否定もされずに、傷つくこともしなくていいから。批判や否定をされても、聞くことがつらいのでどこか受け止めきれなかったり。

もし、そうして傷つくことで、成長する部分があるとすれば、「いい人」っていうのは、その部分がなかなか伸びにくいと思う。僕の場合はざっくりいうとコミュニケーション力。ほかにあるとすれば、決断力、主張する力、意見を言う力、とかかな。

そして、その距離感や壁を乗り越えてくる人がいると、びっくりするけど「もしかして、こんな私でも受け入れてくれるの?」となって、案外うれしかったりもする。

そこに素直になれないと、「何でこの人ずかずかと近づいてくんの!?むりー!」って閉じるパターンもあると思う。そのときに相手が愛や真心を持って接してくれているとして、そこに気づけると深くつながるだろうし、「むりー!!」ってままだとこじらせてしまう気がする。

ただそこは相手の真意もいろいろなので、全部オープンに受けとめる必要もないでしょうね。タイミングとかもあるし。その人と合うか合わないかの判断は、まず受け入れてお互いの間でいろんなものが交換されてからでいいと思うのです。

最初から閉じ気味に人とふれあうのは、少しもったいないことだなぁと思うこともあり、僕自身「なんだ、始めからオープンに受け入れときゃよかったわ」と思うことも多々あるのです。

嫌われないようにとか変に思われないようにという恐れ

たぶん小中時代のいじめも関係あると思う。
「みんなに嫌われたくない。」
それをやろうとして、自分を出すことができず、そこそこ仲良くなるけどつながっていくことはない。

自分を受け入れてもらえると思っていないから、出さないし、出せない。自分のことを「受け入れてもらえない」と見ている。これって「自分」をめっちゃ大事にしていないし、自分を大事にしたいのにできてなくて、「自分」にウソついてたことになってる。

ちなみに過去のことに関してはいくらさらけ出しても、あんまり気にならない。なぜならば「終わったこと」だから。これが今も進行中のことだと、批判や否定されるのを恐れてさらけ出しにくくなってしまうのです。

ま と め に か か る

目の前にいる相手とその瞬間そこにいる自分自身。この二人を大事にできていないから、二人の「間」に、エネルギーの交換が起きにくくて、ナニカが生まれにくい。

結局、僕にとって人間関係が上手くいかないひとつの理由は自分を出さないから。それは嫌われることを恐れるからですね。

さらけ出したからといって嫌われるとは限らないし、批判や否定はその人の愛かもしれないので、愛なのかただの否定なのかを、むしろちゃんと聞いて、み(見、観)ればいいんでしょうね。でも結局すべて愛です。

もしかしたら、僕自身のさらけ出し方、表現の仕方がよくないこともあるかもしれないけど、たくさんやって慣れればいいかなと思っています。

ただ、嫌われてもかまわない、嫌われても知ったこっちゃない。というのは、少し自分勝手な乱暴な感じがしてて、「嫌われてもかまわないから、何しても何言ってもいいや」みたいなニュアンスが含まれるように感じてしまいますね。

いや、確かにかまわないんですけどね。だからといっていきなり怒りをぶつけるとかしちゃっていいや、というわけではないと思うのです。関係性や相手への信頼度合いでさらけ出せる度合いとかは変わると思うので。

まだまだ思考が広がりそうだけどキリがなくなるので、以上、恐れについて考えてみた次第でした。