エゲツナク、ブットビタイ

無難に生きてきた。もっと自由に生きていいと知った。ぶっとんでみたい。ぶっとぶまでのリアルな軌跡。

お金に走る

という時期があってもいいと思っていて、なぜならばやってみるからこそわかることもあるからです。当たり前か。

お金に走るというのは、良くも悪くも「おかね!おかね!!」のお金に絡むエネルギーがいろいろ寄ってくると思うのです。「お金稼げるよ」「これいいと思うよ」「一緒にやろうよ」「コンサルやるよ」とかいろいろですね。

もちろん、僕が今「お金を稼ぐ力を付けたい」ということには、目的があり、想いがあります。

そして、いろんな「恐れ」があるのですが、お金を受け取ることへの恐れももちろんあるのだと思っています。

この恐れって結構たくさんの人が持っていて、特にお金にまつわるものはすごく大きな力を持つし、見たくない人は見たくない部分だと思います。

僕はお金の何を恐れる?

どんな恐れがあり得るのか。お金をたくさん持つのは悪いこと、みたいなイメージやお金に走るのはよくないこと、というイメージが出てきます。

それはお金に走ると心の豊かさがはぐくまれない、心貧しくなる、お金におぼれる、損得だけで判断するようになる、お金に汚くなる、なんか傲慢になる、ということへの恐れのような気もしています。

あとは、お金は争いの元になる、という不安。ねだられたり、たかられたり、ねたまれたり。お金だけのつながりはいらんのですよ。

お金は好きだし大切なもの、という気持ちとお金に振り回されたりしたくないという恐れが「お金はほしいけど、ほしくない!」という矛盾を生み出すことになり、結果的に受け取るのを恐れ、お金が入ってこないという循環を生み出しているようなのです。

心の豊かさとお金の豊かさ

お金に走ることで心の豊かさを置き去りにして、お金に振り回され、お金に支配されてしまうのではないか、という恐れや不安を持つ人は多いのではないかと思います。

僕自身に関して言えば、まだまだ未熟ですが、心の豊かさは育ててきたなと思ってます。お金に振り回されるのではないか、と不安になること自体が自分を信じてあげられてない、すなわち自分のことを大事にできていない。という捉え方になると思っているのです。

自分を大事にするためにも、そのフィールドにチャレンジをして、そこの経験や感動を味わいたいのです。

「いや、おめぇは大丈夫じゃろ。お金に走っても、惑わされんだけの自分軸は十分あるじゃろう。」と、自分の中の自分(岡山弁)がちょいちょい言ってきます。

だからこそ自分を信じて、「お金に走る」

当然、やってみて実際に体感することで、想像もつかない現実が訪れたり、ちょっとくらい調子に乗ると思います。

あとはお金がなくなることへの恐れもある気がしています。お金を稼いでもいつかそのお金はなくなるのではないか、という不安ですね。

「自分はお金を稼ぐことができる力がある」と信じることができるようになってくると、この不安は小さくなると思っています。そのためには「いまこれ」をやってみるのが大事ですね。

得てして、不安や恐れというのはほとんどが自分の思考から生まれる妄想で、そこに囚われることで動けなくなることは多いと思います。

どうやって向き合うか

恐れや不安というのは、無くそうとするのではなく、「あぁ怖いんだね。うんうん、不安なんだね。」とまずは、不安や恐れを感じている自分自身に気づいてあげて、ただただ感じていればいいのです。

そうすると、少しそれが小さくなったり、明確になることで感じ方が変わったりします。気づく感度が上がると、「あ、今、不安感じてるな。そうかそうか恐れてるのかー。ふぅー。」みたいにずいぶん客観的に見れるようになりますよ。

そしてそのあとで実際にどうするかを選べばいいんです。やっぱりやめる。そのまま進む。何もわからずに選ぶよりは、気づいた状態で選ぶ方が、少しは地に足着けていけると思います。

やっぱりやめることを選ぶこともあるかもしれないですが、できるなら、恐れている自分に気づきながらも進むべきです。なぜならば進まないと何も変わらないから。

道は続くよ

こんなことを感じたり考えながら進んでいます。「エゲツナク、ブットビタイ」のブログタイトル通り、ぶっ飛んでいきたいのです。