エゲツナク、ブットビタイ

無難に生きてきた。もっと自由に生きていいと知った。ぶっとんでみたい。ぶっとぶまでのリアルな軌跡。

「何考えてるかわからない」といわれる、その内側。こんな感じ。

よく「何を考えているのかわからない」と言われます。その原因は考えていること、感じていることを「表現する」ことをあんまりしないから。理由はなんとなく感じていて、いま思い浮かぶのはふたつくらい。

ひとつは、めっちゃ頭回転させて考えまくるので、そのまま出すと、方向性もベクトルもばらばらになってしまう。だから表現するのがそもそもめんどいしうまく伝えれない、と思っている。まず「表現する」ことが大事なんだけどね。

もう一つは、そもそも人をなかなか信頼できないし、信頼しない。だから、手の内を明かさない。

今回はこの「信頼」の部分にフォーカスしてみます。なぜならば、最近意図的にエネルギーとか人間関係の選択と集中をすることで、少し見えてきたことがあるから。最近の僕は初対面の人とか、あんまり興味のわかない人には積極的にコミュニケーションをしません。でも女の子はえこひいきするし、気になる人は会話します。何様でしょうね笑。まあ、そんな時期もあるよね。

ひとつの結論として「あ、僕は野生の動物みたいだな。」って思いました。それについてもすこし書きます。

なんで信頼できないのか。

この話は、決して同情して欲しいとか、かわいそうと思って欲しいとかじゃないのです、っていう前提。「信頼していいんだよ」っていう言葉も自分に伝えないといけないのもわかっているし「別に信頼しなくてもいいんだよ」ってのもそう。のでそういう類の言葉が欲しいわけではありません、という前提。

人を信頼してはいけないと思っている自分がいて、それは小学校中学校の時にいじめられていたことが原因じゃないかと思っています。昨日一緒に帰った友達も、今日はいじめに加担してきたり、と思ったら、二人でいるときは割と普通だったり。遊ぶ約束をしたら平気で破られて(行ったらいないとか)、変な理由で言い訳されたり、学校では普通だったり。

「あ、人って信頼したとしても裏切ったり、平気で離れちゃうもんなんだな。じゃ、あんまり信頼しんほうがええか。」ってどこかで思っている。でも「信頼しないほうがいい」ってわざわざ思うのは「本当は信頼したい」の裏返しなんですよね。そして「人を信頼しなければならない」と思っている部分もある。

「人を信頼しなければいけない」ので「信頼したいし、信頼し合いたい」と思っているけど、「裏切ったりされるの辛いから、初めっから信頼しないでおこう。」みたいな。だからといって、全ての人を信頼して、さらけ出すのは疲れるわけです。

本当に信頼できる人はすこしでいい。

「たった一人、あなたを信頼してくれる人がいたら、あなたは孤独じゃない。」こう言える、信頼できる人、さらけ出せる人がほんの数人とはいえ、僕にそういえる大事な人がいるのは本当に幸せだなって思うのです。世に言う、親友とか恋人や家族のような関係性なのかな。

出会う全部の人にさらけ出すのはしんどいので、自分で相手を選んでいいんだなって思えていて、最近の意図的な「選択と集中」のおかげで、表面的なコミュニケーションすらもしんどいときもあります。作り笑顔とかしんどい。うまく笑顔作れないときすらある。興味わかないから、聞くのも聴くのも訊くのもしんどい。あ、聞くのは相手を喋らせておけばいいので楽か。

そもそもの「人を信頼しなければいけない」という前提がどうやら間違っていて、それって無理。できるだけ多くの人と信頼関係を築ければいいけど、まず目の前にいる人を大事にする。大事にしたいと思う人、興味の湧く人を大事にしてコミュニケーションをとる。そして自分を大事にする。よくみて、よくきいて、よく感じる。

深い深いやり取りができるほどさらけ出せる人は、ほんの数人でいいのです。少しづつそう言える人とさらけ出せる領域が増えればいいのです。

野生の動物のこと。

野生の動物って、警戒心が強くないですか?でも、少しづつ少しづつ「この人敵じゃない。信頼できる。」ってのを理解していくと近づいてきて、懐いてきますよね?知らんけど、そんなイメージ。

僕自身いきなり心を開くことはあんまりなくて、でも仲良くなると「そんなキャラだっけ?」っていわれるくらいには心開きます。興味わかない人に近寄られると唸り声をあげます。「興味ないからこないでー」って。ひどい時は、態度や表情とかにあからさまに出ます。で、心の扉をなかなか開かない。楽しそうな人、気になる人には自分からも多少は歩み寄っていきます。ま、タイミングと好みがあるよね。

職場だと、うまく回すためにも愛想とか義理でコミュニケーションは必要ですね。でも今住んでいるオモキチに遊びに来る人とかは、僕自身がとくに気を使いたくないから話したい人がいれば会話に加わるし、興味わかなきゃ喋らない、と自由にやらせてもらってます。自分の状態で変わるときもあるんだけど、オープンな状態の時は割と話するけど、そうじゃない時は部屋にこもったり、イヤホンつけて遮断したり。ま、タイミングと好みがあるよね。

以前も書いたり、時々発信してるんですが、決してやな奴になりたいわけじゃなくて「ごめんなさい。今は集中したいことがあるから、それ以外のことをあんまり大事にできない時期です。」って感じです。やっぱりタイミングと好みがあるよね。

いろいろなチャレンジ、もとい実験をしているのです。

いろんなテーマや課題が見えていることで、そのことに気付きやすくなっていて、その先をどうするのかを選ぶことができるようになってきています。まだまだだけどね。やらなければわからないし、やることでその体験、感動、経験が自分を深掘りしてくれて、新たな気付きをくれて、学ぶことができて、現実になにか芽生えるわけです。

わかりやすく、対極の方向の陰と陽で考えてみますが、あえて、陽の方向に振りきって、また反対の陰の方向に向かっていって、少しづつストレッチをかけていくことで両端のバランスをとりながらその領域をひろげていく。たとえば、「お金に走る⇔心を磨く」「理想を追う⇔現実を見つめる」とかとか。片方だけだとバランスを崩してしまい、現実に何かひずみが現れるんじゃないかなって思います。

だいたいいつもいい感じ。

いろいろ取り組むことで、より人生は楽しくなるし、自分に向き合ったぶんだけ周りの人に向き合えたりするのでそれもまた楽しいのです。
いろいろなことを感じて、考えて、表して、またやって。

だいたいいつもこんな感じ。で、いい感じ。