エゲツナク、ブットビタイ

無難に生きてきた。もっと自由に生きていいと知った。ぶっとんでみたい。ぶっとぶまでのリアルな軌跡。

「やればできる」という可能性に生きること

「可能性に生きる」ということ。なかなか踏み出せない、チャレンジできないということへの一つの解釈なのです。

これはアドラー心理学の「嫌われる勇気」に書いてあったかな。やらずにおいて、やればできる「かもしれない」という可能性のままにしておくというのは、楽なのです。なぜならばやらないですむからね。

どういうことかというと、やってしまうと、失敗して恥かいて、できない自分に出会うかもしれないから、そんな自分に出会うことに対して恐れを感じちゃうんですね。「そんな自分見たくない!」って感じですね。うまくいくかもしれないのにね。「やればできる」っていう状態のままにしておきたいのです。まずやってみろよ、って話ですね。

特にプライドの高い人(恥かきたくない)、自分のことをできると思っている人(できるイメージのままでいたい)、完璧主義な人(できると確信するまでやらない)は当てはまりやすいと思います。なんでわかるの?僕がそうだから。

やらないままにしておくことで「できる可能性」を残しておき、いつまでも「できるかもしれない」ままにしておくのです。「できなかった」にしたくないんです。

ヒトの可能性は限りない

個人的には、人の可能性はほんと限りないものだとは思っているし、踏み出せないのは自分を過小評価してる場合がほとんどかなと思います。ただ明らかに無理でしょ、な場合はあきらめがつくからいいけど、できそうな可能性を感じることだと、できない理由、足りないものが、自分の能力なのか、努力なのか、才能なのか、周りの環境なのかタイミングなのか、他の資源なのかわかりにくいんですよね。

そのわかりにくさの中にいると、たいてい「自分の能力不足か。」と自分を責めて、落ち込みます。「だからこそがんばろう」って立ち上がれるきっかけにはなるので、自分責めはダメじゃないのです。言い訳って決して悪いことじゃない。ほどほどにならね。
でも重すぎると深刻になりますね。「どうせ自分なんて。。。」
でも軽すぎても軽率になりますね。「まいっか。」

環境とか自分以外のせいにすると、「周りのせいにするなんて甘えかな。」と結局落ち込むんですよね。「やっぱり自分はダメだ。。。」ってね。かといって「悪いのは環境だ!自分は悪くない。」と開き直ると、自分をみつめる機会を逃しますね。また同じパターンで失敗するよ。どうやってこのどこまでが自分のせいなのかを判断するか本当に知りたい。

できてないとき、結果が出ないときって、やり方が間違ってるかやってないか、です。仕事選び、住む場所や過ごす場所も含めた環境選び、つながる人やともに過ごす人などの人選びも、やり方の中にあると思っています。

努力してるよ!その努力が間違っていると、実は結びにくい。うまくいってる人や経験者に聞くのが一番ですね。

在り方の大切さ

ここにもう一つ大事な要素があります。そもそもの土台となる「在り方」のとこ。「やり方」と「在り方」のどちらが先なのか。どっちも。前に進むときって、片方だけ出してても進まないでしょ。順番に交互に出すことで、前に進む。

どうしたいのか、何にワクワクするのか感じてみる。それをやってみる。やった体験、感動から、またどうしたいのか感じてみる。これの繰り返しで、自分の在り方が少しづつ形作られていくと思っています。

相手選びも大事だね

そしてよくあると思っているのが、やりたいことや夢を話す相手の選び方の間違い。

自分のやりたいことを、やったこともない人、そもそも冒険をあまりしない人に、仲がいいから、なんでも話せるからという理由で話すると、「やめときなよ」「あぶなくない?」「失敗したらどうするの?」「なんでそんなことするの?」という反応が大抵返って来ます。その人はやったことがないからね。

これがまたおもしろいことに、どんどんチャレンジする人、いろいろやっている人に話してみると「いいじゃん!やってみなよ!」「おもしろそうじゃん!」「それやるべきだよ!」って返って来ます。なぜなら、やったことがあるから。そしてやることの大切さをわかっているから。

その相手は、「自分」でもある

これって、自分の中の自分との会話も一緒。よく会話してますよ。「やってみようか。でもこわいなー」「いやいや、やってみたらいけるかもよ。何が怖い?」「こことここが不安なんだよねー」「そうだよね。それが起きたらどうする?」「ここはこうしたら大丈夫かも。これに関してはやって体感せんとわからんね。」「よし、じゃあ、やってみよか。あとはやりながら考えよ。」とかね。

うまくいこうが、うまくいかなかろうが、どっちでもいいと思っています。もちろんうまくいくに越したことはないのですが、それに取り組むプロセスから得られるものの価値の大きさを知っているからです。何か取り組むことの結果も大事ですが、その過程で得られるものが、とんでもなく大きなものをもたらすのです。

まず一歩が大事。こうなったらやろうとか、条件揃ってから、とかやってると一生条件だらけになって何も進めない。納得できる状態で、進みたいけどほどほどに。

失敗なんてすればいい

なかなか動けないときって、なんで動けないのかちゃんと見つめるといいと思います。何に恐れを感じているのか。何が怖いのか。何が足りないのか。それはなくなることはありませんね。でも、知っていてやるのと、知らずにやるのとでは違う気がする。

まず、やってみな。どうせ失敗するから。それがわかってたら、何か起きても「きたきた。やっぱ壁に当たったよ。さーどうしよう」ってきっとなるよ。僕は毎回そんな感じ。ときどき「うそやんっ」っていうくらいでかい壁もあるけどね。

失敗したらカッコ悪い。ってのあるよね。逆の立場で考えてみると、友達がチャレンジをして失敗したとき、「ださっ」って思うのかな。あんまり思わない気がする。むしろチャレンジもしないであーだこーだ言ってる方が「ださっ」って思う気がするよ。少なくとも現実にチャレンジしていることに対しては「カッコ悪っ」って思わないよ。

失敗上等。同じ状況に陥った人に、アドバイスできるようになるじゃん。

大きい結果出さないとカッコ悪い。ってのもあるよね。違うよ。だれもがみんな小さい結果をコツコツ積み上げてるよ。そんで今見えている、眩しいくらいの結果があるんだよ。継続は力なり。

どうしても踏み出せないなら、やめればいい。むしろ、やめときなって思う。手放すとまた見えてくるもんがあるよ。やっぱりやりたい。とか、やめてこっちにしよう、とか。

まとめ的な

偉そうなことは言えないけど、ほんといろんなチャレンジをして、いろんなことやって、いろんなことが見えて。まだまだ見えてない部分もあって。やればやるほど、経験値が得られて、自分の中の軸も少しづつしっかりしてきて。

本気でこのままじゃ嫌だ!現実を変えたい!って思うから動ける、気がする。いまやっている物販も、あーでもない、こーでもないと試行錯誤しながら少しづつ結果が出てきてます。やってみてわかることだらけ。ほんと決めて、動いて、スタートしてよかった。そして継続は力なり。

あーなんかいい感じ。だいたいいつもこんな感じ、だな。