エゲツナク、ブットビタイ

無難に生きてきた。もっと自由に生きていいと知った。ぶっとんでみたい。ぶっとぶまでのリアルな軌跡。

頼るの苦手だなーって話

なんでもかんでも自分でやるって人。けっこう多いと思う。要するに人に頼るのが苦手。迷惑じゃないかな。邪魔になっちゃ悪いな。自分でやったほうが早いしな。自分でなんとかできるしな。うん、ワイ自身がそうなんです。

何でも一人でできるとこまでやろうとするし、人になかなか頼らないし、そもそも頼り方わかんない。頼ることが少し悪いことだと感じてて、頼ってねと言われても、まだまだ自分でやれるってやってしまうから、結局なかなか頼れない。「大丈夫!ありがとう!」は口癖。

いつもね「自分はまだまだ。」って自分に言ってるんだ。満足したらだめだ、みたいな。自分に対して厳しいな。もっと自分自身にやさしくしてあげたいよ。なんでできないんだろう。

でもね、自分で自分を褒めようと「自分。よくやってる。がんばってるよ。」って言ってあげても、意識高い自分が「いや!でもまだまだ。」って厳しい言葉をくれるんだ。まだまだ可能性はある。お前はこんなもんじゃない、っていう信頼の現れでもあるんだろうな。

ワイはどうやら自己完結しがちで、どうやら自己解決能力が高め。割と多くのことを器用にこなせるが故に、自分でやろうやろうとしがち。なにをやっても大抵60〜70点は取れちゃう、みたいな。もちろん苦手なこと、できないこともたくさんあるけどね。あとできるけどあえてやらない、ということもたまにはある。あえてやらないというか、あえて「甘えて頼る」ってこと。

わたしとあなたとわたしたち

ほんと独り身でずっと生きていけるんじゃないかと思う時も、ほんの一瞬あるけど、やっぱり人生を共に歩むパートナー、恋人は欲しい。友達とかとは違う関係性の中でしか築けないことは果てしなくたくさんある。

そういう関係でないと生まれないものはたくさんあるし、その関係性を育むことはとてつもなく多くのことを学べる。女性への気遣い、気配りとか、思いやり、愛情、オープンに対話とかシェアをしていくこととか。あとは自分一人では作れない二人で作るものとか。

お互いの価値観、想い、感情の共有をして二人のものを作る、とか。「I(アイ)」という自分だけとの関係性が、「You」」から「We」になる、あなたとの「わたしたち」という関係性。コミュニケーションを繰り返して、お互いを理解し、共感し合う。そうして愛とか関係性を育んでいく。

男はシンプル。「愛する人がおると、その人のためのエネルギーが湧いてめちゃめちゃがんばれる。」その人のためなら、どこへでもいけるし、なんでもやれる。守るために、攻める。

出会うこと

ひとはひとりでは生きていけない。いや、たぶん極論は生きていけるよ。でも孤独は毒なんだ。間接的にすべてのものは誰かが作っているとか他の人がいて社会が成り立っているとかいう話ではなくてね。ひとりでもたぶん生きていけるけど、やっぱり全てのコトは「人と人の間(あいだ)」から生まれている。

誰かと出会い、同じ空間と時間を共有し、言葉、表情、感情、たくさんのコトをやりとりして交換して、そこにナニカが生まれる。ってことを繰り返し繰り返ししていかないと、流れが止まる気がする。なんだろう。エネルギーというか運気というか、「気が回らなくなる」んだと思う。放ち、流す。そしたら巡り循環する。滞って濁ることなく、透明感が増して澄んでくる。自然の摂理。

そのナニカは友情とか愛情とか恋とかかもしれないし、なにかのアイディアとか知恵かもしれない。そして人間は基本的に男女の間から生まれる。この世の全てのものは誰かとの「間」からうまれていて、この先の自分の人生も誰かとの間で綴られていくんだ。

いろんなものを交換していくことで、知らないものを知ることができ、、世界が広がり、ひとりでは到底得られないコトをたくさん得られるはずなんだ。だから人と出会うんだな。会いたい人に会いにいく自由自在の幅をもっともっと広げていきたい。

まとめ的

もう少し肩の力抜いて、できないことを認め、知らないということを知って、「頼る」ということを意識してみよかな。自分だけでなんでもやっていく「自立」から、いい意味での「依存」ができるようになりたい。小さなことから。自分にやさしく。いつもなんかいい感じ。