エゲツナク、ブットビタイ

無難に生きてきた。もっと自由に生きていいと知った。ぶっとんでみたい。ぶっとぶまでのリアルな軌跡。

「気」を使いたい(単語として)

「余裕と気配り」のことからいろいろと気にまつわる表現が気になったのです。

なにかを感じたり湧いてきたりするのはたいていなにかと出会ったときが多いと思う。人といたり、人と会話をしたり、外に出かけたりしたときほどに新しいことに出会って刺激を受ける。

そして、なにかしら感情の動きがあるからこそなにか感じるものがあったり、なにかが湧いてくる。

ひとりでいたり、家に引きこもってたりして変化の幅が少ないことが多いゆえに、少し出かけて人と会うだけでも大いに刺激になるものです。外にでなきゃだけどねぇ。気が乗らんねぇ。

ちなみにこの先の「気」に関する表現は、単語そのままよりはたとえば「気配り→気を配っている」という言葉の意味として「気」の動きをイメージして読む方がおもしろいかもしれませんね。わかりにくかったらすまん。あえてめっちゃ「気」の表現使います。

余裕と気配り

自分で言うのもなんですが、わりと気配りはできる方だと思っていたけど、余裕がないと気配り、気遣い、心配りはなかなかできないものだなぁと思ったのです。

相手によるか。気のしれた相手ならお互いの気を知ってるからこそあんまり気を使わずに自然体でいやすくなるんだろうな。身構えて気を張る必要もないし、変な気を回さなくてもいい。「気心の知れた」ってやつですね。

そして気の合う人は居心地がよい。だって「気」が合ってるんだし。その上で、無理なくお互いに気遣い気配りができるんだと思う。

これが気が合わない相手で、一緒にいるのが気の進まない相手だと、気を張ってしまって妙に気を使ってしまう。気が進まないので、気が乗ってこないし、結果、気を使いすぎて気疲れする。気は有限なり。

うん、気の表現が多すぎて読むのに疲れるな。ちょっと気の利かない文章表現だなぁ。

「気」はあったり、なったり忙しいな

異性に対して「気がある」っていうけど、自分の気が相手にある状態で、すなわち興味関心が相手にあるから「好意がある」って解釈なのでしょう。

これまた、気のある相手だと、なんだか気配りとは少し「気の置く位置」が違う気がするのです。なんとなくなんでうまく説明できませんが。

相手の価値観とか考えとか趣味嗜好、好きなモノコト、嫌いなモノコトなどなど相手のことをもっと知りたいと思う気があるんですね。異性としてだったり人間としてもだったり、相手が「気になる」ってことですね。

たぶんその「知りたい!」という気持ちが強くて、そこに気を回しすぎると、気配りするところへ気が回りにくくなるんだろうな。変に考えすぎてしまったりね。

うまく気が回せてなかったかもしれないなと感じたので、分析してみたまでで、相手がどうとらえてくれてるのかはわかりません。変な気を使っていたわけではないんだけども。気を悪くしてることはないと思いますが。

少なくとも気が合うなって思うからこそ、縁があってつながって気のしれた関係になったり、気のある相手になったり、気の許せる関係になったりするんですね。

好きな理由を説明できないという「だって好きなんだもん。理由なんて知らんよ。」ってのも「気」というものを説明しづらいのと関係してるのかな。それって雰囲「気」とかだったりしますもの。

ちなみに、「○○だから」とかいう条件とかの好きという気持ちは、その○○がなくなったり変わったらどうなるんだろうって思う。全くないわけではないけど、○○だからってのばっかりだと他にもいるじゃん、とかなりそう。

たとえばね、背が高いから、笑顔がかわいいから、しっかりしてるからとかだと、その人じゃなくてもいるじゃんってなりそう。

だったら理由のない好き、「だって好きなんだもん」のほうが長く続く気がするし、さらにいうと相手をいいとこも悪いとこも知った上で「あなただから好き」ってのが最強な気がする。気のせいかもしれんけど。

まとめ的な?

「気」にまつわる表現を意識的に使いながら表現してるとおもしろいなぁ。

目に見えないものも結構おもしろいなってことです。知らんけど。