エゲツナク、ブットビタイ

無難に生きてきた。もっと自由に生きていいと知った。ぶっとんでみたい。ぶっとぶまでのリアルな軌跡。

なにかの試練なのかと考えさせられる誕生日

誕生日にインフルエンザC型にかかり、なかなか粋な始まりですが、四年前の誕生日にインフルエンザにかかったときはその歳はずいぶんとぶっ飛んだ変化がありましたものです。

今年もなにか、大きな変化があるかもしれないし、どのみち変化とチャレンジの一年になります。ある意味楽しみ。

■ 35歳という年齢 ■

この年齢のことで昔思い描いてたのはたぶん、ふつうに働いてて、結婚して子供がいて、家庭を持っててとかだけれども、「もっと自由に人生楽しんでいいんだ!」と舵を切ってからまあそんな妄想もどこへやら。

昔よりは将来への不安がだいぶ小さくなったり、35歳にもなるのにまだまだエネルギーは湧きあふれでてくるもんだなぁと感じます。

■ いまの人生はベストなり ■

戻るつもりもないけど、もう戻せない人生をいつも歩んでいて、いま歩んでいる人生だからこそ出会えた人たちがたくさんいる。そして、いまの人生を歩んでるから出会えてなかった人もたくさんいると思ってる。

だからこそ、今歩んでる人生上で出会えた大事にしたい人たち、濃くつながってる人たち、ともにいる人たちはとても大事にしたいと願う。なにかしらを共有できてる時点できっと奇跡だから。

「あの出会いがあって今がある」とか「このときの縁で今こうしてる」とか「あのときあの人に救われた」いうのはどんな人生を選んだとしてもかならずある。けど、それらのことがなくても別の形でなんかターニングポイント的なものはあるはず。いかなる人生を歩んでも「あのとき人生が動いた」はあるのです。

なんといったらええのか、「今の人生だからいい」とかではなくて「どんな人生でもいいに違いない」って思ってる。「あの出会い」がなくて、その出会いがなかった人生でも別の必要な出会いがあったはずだし、喜怒哀楽を感じながら精一杯生きてるはずなのです。パラレルワールド

いろんな出来事がある中でつらいことほど「なんで起きたんだ!」ってなりやすい。たとえば恋人との別れとかも、別れたから出会った人とかつながった人もいるし、起きた出来事もあるだろうし、次の恋愛もできただろうし。別れてなかったら、という逆もしかりですけどね。

つらいことも意味がある。そのときにはたぶんわかんない。けど、あとから振り返ったときに「あの失恋はこういうことだったのかも」「あの人との別れはこのためだったのかも」と意味を与えることができて、つらいグレーな思い出が、少し彩りのある思い出に変わるものです。受け取り方次第。

そんなふうに考えてみると、この先の人生もどう転ぼうとベストなんだろうな。そのときはつらいことも、その出来事がより自分を強く成長させてくれるならば、それは意味のあるものなんじゃなかろうか。

と、心の奥でいつも感じているので、どんなつらいことでも心や頭のどこかで「この意味はなんなんだ」「なにを教えてくれようとしてるんだ」と問い続けています。つらいのはつらいけどね。人生修行。森羅万象が師匠。

■ はてさて ■

ワイのこの先の人生って、一生独身でいく人生もありうるでしょう。家庭を持つ人生もありうるでしょう。あと数年で終わる人生もありうるでしょう。元気に100歳まで生きる人生もありうるでしょう。どんな人生もありうるのではないか。

それを少しでも「こういう人生にしたい」っていう意図を持つことで、そこに向かって歩いていけると思う。独身はやだから結婚して家庭もちたいし。すぐ死ぬのも少しやだから、元気に長く生きたいし。自由に遊びたいし。

それでもなお思い通りにいかないのが人生で、そんときゃ「これも運命!」と受け入れる。しかないよねー。人生は偶然と奇跡の積み重ねでしかない。有り難や。

■ 人生おいての夢は「自由自在」 ■

いろいろな人生の実験を通して、人生の目指すところを思い描くことができるようになってきた。というより、抽象度が高かったり、実は心の奥底で想ってたことの言語化ができるようになってきた。

それは「自由自在にできる幅を広げ、この地球上で遊ぶ」ということ。

時間とかお金とか人間関係とか場所とかの選べる幅を可能な限り増やしたい。お金がないからとか時間がないからとかであきらめることを少なくしたい。お金が全てではないし、一つの道具だってのもわかっているけど、ないよりはある方が選択肢は増える。

ここをもう少し掘り下げたときに、まだ見ぬ自分の「家族」が関わってることに気づかされた。

なにかというと、「好きな人、愛する人の願いを叶えたい」ってこと。それがたぶん最高の自分の願い。それを通して好きな人、愛する人の笑顔を見続けたい。そんなあなたを見て、ワイも笑顔になるから。

そのためにも自分の夢や願いはもとより、パートナーやこどもの夢や願いを実現できたり、一緒に叶えたりするだけの経済力とか時間の自由度をもちたい。限度はありますよ。

たとえば、「ここにいきたい!」「これやりたい!」ってときに、「今からいこう!」ではないとしても「じゃあ来週行こっか。」「じゃあ来月に行こっか。」くらいのスピード感で実現できるような。

そうやって共にいろんな体験をして人生を生きていきたい。お互いやりたいこと、目指すことは違ってもいいんだ。他人だからいろいろと違って当たり前なんだ。

他人だから違うっていう前提がある上で、重なり合うとこは共感しあい、違うとこはお互いが歩み寄って妥協点を見つけたり、理解し合えばいい。その上で二人で目指したい人生をお互いが向き合いながらも、同じ方向を向いて共に歩いていきたい。

理想論ですけどね。

■ 人生は実験 ■

前にもちらっとかいたけど、ワイにとっては人生って実験をたくさんし続けてる。「みさわたく」という肉体を使って、地球上でいろんなことを試してる。実験って「実際の体験」と言う意味だけど、どちらかというと「現実の体験」の方がしっくりくるな。

心の中や腹の奥にある想いを現実に表すことで「表現」され、現実の体験を通して「実験」することでいろいろな経験と知恵を得て、「五感の情報」を通していろいろな感情を感じる。

それらの一連の流れを通して感じた感情を元にまた自分の中にある想いが刺激を受けて、新しい想いが生まれたり、洗練されたりする。

これの繰り返し。

想う。やる。できるとこまで、できるだけやる。なんか得られたり感じたりする。また想いをみつめる。こうして一歩ずつ成長してく。だから「やりたい!」はやるっきゃないし、やらずに後悔するならやって後悔する。

■ 相も変わらず ■

われながらこうもたくさんのことを考えているのか、と感心させられる。言語化や文字にするのって難しいので伝わりきらない部分もあるでしょうがね。

こうやってごちゃごちゃ考えてはいるけど、いつも終着点はシンプルに軽やかに楽しく生きてこ、なんですよ。バランスバランス。

だいたいいつもこんな感じ。

だいたいいつもいい感じ。