エゲツナク、ブットビタイ

無難に生きてきた。もっと自由に生きていいと知った。ぶっとんでみたい。ぶっとぶまでのリアルな軌跡。

とにもかくにも自然体にすごす

最近は流れがええなって部分が多くて、でも少し滞る部分もあって。少し滞る部分がブレーキとなって、浮足立たないようにしてくれているように感じるのと同時に、まだまだ自分の器はそんなものか、とも思う。

なんか年明けくらいから妙に肩の力の抜けた「自然体」で過ごせている感じが強いのです。たぶん、他人との比較をとにかく減らし、ブラックな部分を少し出すことを練習しながら最近は生きてるからだろうか。GWに名古屋に帰り、大学からの十数年来のツレに会ってたくさんたくさん会話ができたのはとても実りある時間だった。自分を知る手段は感情の深堀であること、他人と勝負しないこと、とか話ししてたのです。うーん、深い。

オープンに生きるのってこんなにも楽なのかってのを最近感じてる。仕事先では副業で物販事業をやってることも、昨年失敗して立て直していることもシェアハウス住んでることとかも色々オープンに包み隠さず話ししてる。あり方というのか、キャラというのか、そういう部分も割とオープンに、ある意味「自分らしく」過ごせてると思う。まあもちろん相手は選ぶよ。

■ ■ ブラックなタク ■ ■

ブラックな部分ってもちろん元々あるんだけども、どうも「いい人ぶる」とか「いい大人」としてカッコつけて生きようとしている節はある。だからブラックなとこってほとんど表に出したりしなかったのです。だってよく思われたいじゃん。でもそう思うこともだいぶ減らした。聖人君子ではないので完全になくすのは無理。とはいえ多少は必要だからこそ、減らしたんよね。

「みんなに嫌われないようにしよ。」よりも「全員に好かれるの無理。だったらワイが全員を好きでいるのも無理。」ってな具合。別にさ、職場とかのような同じ空間にいるからって好きでなきゃいけない理由はないし、距離感を近づけなきゃいけないってこともない。必要な距離感を保つのも大事。でも自分の中では「あくまで今はね。この先未来永劫このままとは限りません。」っていう特別ルールみたいなのをつくるあたりがワイの甘さ。甘い優しさと表現しよう笑

すごい余談ですけど、過去にも「なんか好きじゃないかも。一緒にいておもんない。」って人と何年かして会う機会があって、相手が何も変わっていなくて結局おもんないってなって「もう会うことはなかろう。達者でな。」ってなった人もいる。おもんないというか、心地よくないというか。無理に会おうとしなくてもいいかなって感じ。ドライだね笑。まぁ、ワイだって人間だもの。

ブラックな部分を出すことって悪いことみたいに思ってるんよね。我慢が美徳、みたいな。それも大事。でも我慢してためて爆発するくらいならば、ブラックな部分を少しづつでも出していくことでガス抜きのようになるんじゃないかと、最近は実験がてら観察しながらブラックタクを出しています笑

■ ■ ダークなタク ■ ■

でも気をつけているのはダークに偏りすぎないこと。この微妙なニュアンス伝わりますかね。ダークなタクってのはほんと陰湿なんですよ。深く、そして暗くて重い。負のネガティブなエネルギー。なんかどっしりとねばっこい。感情的にもなっていて、ネチネチぐちぐち、って感じ。性格がブスってやつですかね。そゆ人いるいる笑。

それと違って、ブラックなタクになるときは、かろやかさ、ポップさや笑える要素、そして自分が思う改善点などを含めて出すようにしていて、ポジティブになるように気をつけてみています。たとえば「とはいえこういうとこはすごいよね。」とか「なんだかんだ基本的には好きなんだけどさ。」とか。あとは怒りとかの感情が乗りすぎないようにもしています。「悪いとこあるでしょ笑。てへ。」みたいな。笑って聞けるような感じかな。

こういうブラックなのってあんまり他人に出したりしたことなかったんで、どうやって出すのか、どんなふうに出したらいいのかまだ慣れてないのです。だからこそどんな形で出すといいのかは気をつけていて、いろんなクッション言葉とかフォローの言葉を使うようにしています。むずいね。でもブラックタクをだすことは効果はあると思ってる。ブラックタクの話を聞いてくれる相手はほんとにありがたい。ぷしゅーっとガス抜きです。

■ ■ 他者比較なタク ■ ■

他人との比較はだいぶ減らした。外見も内面も持ってるものも、やってることとか自分よりすごい(ように見える)人はたくさんいる。でもそのすごい(ように見える)人もたぶん「あの人オレよりすごい...」と思っている相手はいるし、とにかくキリがない。勝ち負けで言えば敵わないものを持つ人は必ずいる。上には上が必ずいる。だからこそみんなそれぞれすごいのです。

この気づきを得たきっかけは街中の人間観察。主に女性の。そもそもですね、キリッとした美人顔で、すらっと身長も少し高めでなおかつ姿勢もいい人を見るとつい眺めてしまうのです。まぁ、いろんな女性をみてしまうんですね。主に顔です。だって男の子だもん。

そうすると系統もいろいろですが、カワイイって思える人はいて、しかもたくさん、それこそキリがないくらいたくさんいるんです。「この人イイ!でもこっちの人もいい!」ってなって、一番って人ははなかなかいない。決められないくら素敵な女性がたくさんいるから。好みもあるしね。何様だかね。なんの話だっけ。

そうそう、他者比較の話。この人間観察を通して「上には上がいる」ってのを思ったのです。それとともに「それぞれがみんなすばらしい。」と思いました。きっかけはちょっとアレですが、このことからめっちゃ敵わないーって思う相手がいても別の部分では自分もいいとこあるって思えるようになったし、そもそも戦わないっていうことをするようになりました。他者比較の前にまず自分。自分が満たされてれば周りは気にしなくていい。あんまり比較しない。

他人にも自分にも「あなた(自分)のここがすごいよね。」ってスーッと素直に見れることが増えた気もします。比較ばっかしてると自己肯定感も下がるんよね。なんかさ、どんなことかはわからんけど、「あなた」という人間単体で見れば、すごいっていうとことは絶対たくさんあるはずですよ。

でもすこし厳しい表現すると、それを社会の中に放り出した時に、いいかわるいかはわからんし、役に立つかどうかは知らん。すごいところに気づいてないだけかもしれんし、一生わからんままのこともあるでしょう。どうやったら今の生きている環境や社会に役立てそうか活かせそうかを考えて悩んで試してみて生きていくのが人生の一つの形なんじゃないの?って思うのです。厳しいかな?これは厳しい優しさと表現しよう笑

■ ■ 自分を知ること ■ ■

これはいろんな手段があると思います。ここ1〜2年よくやっているのは二つ。まずは自分の感情を見つめること。なるべく深く。徹底的に。ざわついたときに、「なぜそう感じたの?」と質問を繰り返して深掘りしていくことは自分を知る大きな手助けとなります。ときには自分の価値観に出会うし、大事にしていることにも出会える。何に対して怒っているかを知るのは大切だと思う。その「何に」のところはその人が大事にしているとこだからって言うしね。

ただ、自分の中に全ての答えはあるものの、自分の外でいろいろな出来事や情報と出会っていくこともちゃんとやらないといけないと思う。そうしないと自分自身の狭い器の狭い世界で巡るだけなので、行き詰まるし広がらない。自分の世界って無限にいくらでも広げられる。

感情の深堀をして感じたこと、見つけたことをなんかしらのかたちでアウトプットすることも大事。友達と対話したり、シェアしたり、文章書いてみたり。その感じたことを知っている状態でまた過ごしてみたり。そしてまた感じたことをもう少し深掘りしてみる。その都度、違う発見もあるだろうし、これを繰り返していくことでより深く、広く自分を知れるんじゃないかと。

ほんでもう一つが、しいたけ占いの表現を借りること。この方の各々の星座別の特徴とか性質を説明するときの表現とか例えはとてもユニークで、頷けることもたくさんある。「あー!それそれ!」っていう当てはまる部分は誰もが共感しやすい。「あー、そういうことね。」ってのは思い当たることがある部分だし、「ほほぅ。なるほどこんな一面も。」となる部分もちゃんと受け止めておく。絶妙な表現で言い表しているしいたけ占いはワイにとっては自分を知るのにとても大きな手助けになります。

■ ■ 締めにかかる ■ ■

そんなことをいろいろあーだこーだしながら、日々、三澤卓の人生楽しいなって思いながら生きてます。

仕事の問題も、経済の問題も、人間関係の問題も、自分自身のこともあり方とかやり方とかも一撃必殺のような解消法なんてなくて、焦らず一歩一歩やってくしかねぇなって思うのです。

じっくりコトコト。日々行進。

うんうん、だいたいいつもいい感じ。