エゲツナク、ブットビタイ

無難に生きてきた。もっと自由に生きていいと知った。ぶっとんでみたい。ぶっとぶまでのリアルな軌跡。

「嫌い」を持つ人について

最近はFacebookはろくにあげず、見ず。開きもしなくて、いいねもまぁせん。数記事ぱらぱらしてそっ閉じばかり。

時間とか意識とかアンテナとか視点など、すなわちエネルギーが自分自身と自分との接触頻度の高い人にしか向かわないからであります。

向いてるところが、とても現実(リアル)な範囲になっている、ということです。

どうしてもなかなか会わない人は、わかり合えるとしてもリアルタイムではなくなるので、スピード感とか臨場感というのか、そういうところに物足りなさを感じる。

まぁ、そんな時期もあるよね。

特に仕事においては、楽しみながら、磨きながら、どっぷり「仕事人」をやってるのと、そこに関わる人たちがいろんな意味でとても楽しくおもろい人ばかりなので居心地もよい。

そういう意味では、ひとつの「場所」の確保ができてるんだと思う。

とはいえ現実ばかりにいても、ふと気づくと「あれ?なんかからっぽだぞ。」とか、振り向くと「あれ?なにも残ってない。」とかなりかねないのです。

だからたまに、書く。

頭の中を整理して、「わたしはいま、こう感じている。」を言葉にして、書く。

小出しにするつぶやきみたいなのもその一環。そうだ、Twitter使ってみようかな。

■■ 「嫌い」を持つ人のこと ■■

最近人とふれあってて思うのは「この人嫌だな。」ってひとの方が、めっちゃ人間について学べる。

だって、なんで「嫌だ」って思うことをやるのか、相手のことが理解できないんだもん。

自分にないものをもつ、なんなら自分がやっちゃダメって思ってることをやってるから「嫌い」になるんですよね。

関わらなければ無関心ですむけど、関わらざるをえないときは無関心では済ませられない。だから「嫌い」になりがち。

とはいえ気をつけてね。我慢して無理しすぎると自分がめっちゃダメージ負うし、ボロボロになるよ。そのときは逃げるか切るかしましょう。無理に嫌いな人に向き合ったりしなくてよい。

あとね、間違ってもなおそうとかはしない方がいい。だって相手の問題ですからね。きっと相手はなにか大切なものを失ってるよ。もしくはこぼれ落ちてる。

それと先に言っとくと、あなた自身に対して同じように嫌いと思ってる人もいるからね。これはそうでしょ。すべての人に好かれるのは無理。

■■ 人間理解のために ■■

「わたしはイヤです」を伝えるのはいいかもしれん。向き合い、話し合い、歩み寄りが望める人ならいいよ。でなきゃ何もいわない方がいい。

それをできると信じられる人にしかね、言わんよね。ほんでさ、自分との関係性をよりよくしたいと思える人に対してじゃないと言えんよね。少なくともワイはそうだな。

自己対話がくせなんでね。徹底的にね「理解できん。なぜ?」「なにを考えているの?」「どう感じてるの?」を考え、感情を感じる。知識の補充と仮説検証のためにググることも多々あるよ。たまにかなりいい線いってんだよ笑

それをやるとね、「なるほどね。」って少しずつ、少しずつ相手を受け入れることができるようになる。「なるほどね。」が増えるほど、人間心理への理解の幅と深みが増すと思うんよ。

会社の人なら「ちっ、しょうがねえな笑」
好きな人なら「そこも含めて包み込むわ照笑」
親友なら「ふざけんなほんま笑」

ってなるかな。
この「嫌い」を持つ人への理解って大事だと思ってて。なぜならば、完璧な人はいないから。

ちょっと視点を恋愛方面に変えるね。

■■ 視点変更ね ■■

たぶん長い人生において、友達とか親友とか親とか同僚とか先輩とかっていう、いろーんな人間関係の中でずーっと一番一緒にいる人って恋人だと思うんよ。時間的にも物理的にも。人生のステージによって夫婦になるんだろうけれども。

もちろん、恋人いるいない、いらないできないほしくないもあると思うけど、それはおいといて。ワイに関してはそうなると思ってる。

時間的にも物理的にも一番一緒にいるんならさ、パートナーとしてお互いに話し合い、向き合い、磨きあってよりよくしたい、自分自身も人間性を高めたい、と思ってほんまに二人三脚で一緒に人生歩いていくことができる人がいいんよね。

ほんで親友のように何でも話せて、信頼し合えて、アホみたいに笑って泣いて、バカみたいにはしゃいで遊んで、ときにはケンカしてぶつかり合って、でもごめんってちゃんといえてしれっと仲直りして。かっこつけることもキレイに見せることもしなくてよくて、何でもさらけ出せる感じがいいよね。

で、恋人らしく?なのかわからんけど、いちゃついてクサいこと言ったり、愛情表現したり、なんか記念日とか祝っちゃったり誕生日とかめちゃ悩んでプレゼント決めたりね。おいしいもん食べ、キレイなもん見て、二人の体験たくさん増やしてね。

いわゆる彼女って存在はさ

いっしょにいると楽しい!笑顔になれる!

ってのが一番大事だと思ってるんです。

それをこの先ずーっと安定させるためにも稼ぎとか礼儀とか信頼とか自己研鑽とかも大事なわけで。

■■ でね、なにが言いたかったか。 ■■

そんなことをしたいと想える大事な人でも「嫌い」は絶対あるんですよ。ない?それは猫かぶってるだけ笑

絶対「嫌い」は出てくる。そのときにね、「嫌い」にどれだけ歩み寄れるのか。受け入れていけるのか。向き合わないといけなくなるときはくると思うのです。そう、それは試練。

わかってると思いますけれども、論外!はあるよ。
犯罪はダメ。暴力とかもダメ。「あなたがいないとダメ」もダメ。ただの依存。「この人はわたしがいないとダメ」もダメ。洗脳的なものは目を覚ませ。

■■ We ■■

「嫌い」をね、一元的に「うーわ。それやられるのしんどいから無理。ありえん。」てなるだけだと、その先がなにも変わらず、同じパターンの繰り返しになると思うんよね。で、我慢して爆発。

「なぜそれをしたんだろう?(あなた)」
「何かがそうさせたんだろか?(わたし)」
「自分が相手に同じことしたらどう感じるんだろう?(あなた)」
「やってみてなにかわかることないかな?(わたし)」
「してる人を見たらその人に関して相手はどう思うんだろう?(だれか)」
と多角的に多面的に、多次元でとらえるのがいいんじゃないかな。

あなた と わたし と だれか(第三者

の三つの視点。三次元。
ほんで大事なんは「よりいい関係を作って、この先も楽しく過ごしたい!(わたしたち)」という四次元の視点を共有できるといいんだろうな。

あなた と わたし と だれか 
そして わたしたち

好きもあるし嫌いもあるよ。全部向き合って話し合って丸ごと愛せるのが理想だな。

■■ 走り書き ■■

と、思いつくままに、あまり加筆修正校正しないでここまで書ききりました。めっちゃ長なってしもた。

こうやって出すことで、つっかえやモヤモヤが晴れますね。

うんうん、いつもいい感じ。