気付かされたこと。たぶん同じように当てはまる人もいるはず。
ないないづくし。不安でいっぱい。
才能もスキルも実績も特技も資格もない。ないないづくし。
自信も基本的にない。
「できなかったらどうしよう。」
「失敗したらどうしよう。」
不安でいっぱいになる。とくにお金に関する不安の時に動けなくなる。
「仕事がなくなったらどうしよう。」
「収入が確保できなかったらどうしよう。」
「お金が尽きたらどうしよう。」
「生活苦しくなったらどうしよう。」
安定に居続けてしまう。
基本的にはポジティブになれる自分だけど、ここだけは不安が付きまとう。
ほんとうはもっと自由でありたいのに。
実績とかスキルとか才能とか特技がある人がうらやましい。とくに経済的、仕事的な方面でそれがある人。
そのせいか、他人のレッテルにとらわれることが多い気がする。人としての尊重は当然必要なものだけど、どこかそれ以上に「この人すごい人だな」って自分を勝手に下げてしまう。要するにビビる。
あれ?でもそんな人が一緒にいてくれるとき、交流をしてくれるとき、相手は「自信のない奴だな」「しょぼいやつだな」ってなってない気がする。
そんなレッテルや実績で判断せず、「人間」として接してくれてる気がする。
自分が勝手にレッテルや実績で判断してビビってるだけの気がする。
人と比べる必要はないのに。
少し話すとたいていわかってくるけど、同じ「人間」なんだよね。「この人も同じ人間だ。」ってなったときに、本当の対話が始まると思う。
自分自身のビビりのマインドブロックに自分で気付いて、それをいったん置いとく。その状態で対話していくと、相手の想いもスーッって入ってくる気がする。
不安だから欲しくなる。欲しいから不安になる。
自由を得る手段として、不動産事業は捨てられないと思っていた。
「お金を稼ぎ出す自信がないんじゃないの?」
「お金の流れを作り出す自信がないんじゃないの?」
と、気持ちや想いをシェアするときに言われた。
はっ、とした。
たぶんそのとおり。
さらに
「たぶん、不労所得(=家賃収入や投資の収入など)でいくらあっても、なくなったらどうしようって不安は尽きないと思うよ。」
お金に対する不安があるからこそ安定を求め、なくなったらどうしようっていう不安が付きまとう。
不安と安心は表裏一体。
なくなっても何とかできるっていう自信
「あるから安心」っていうのより
「なくなっても作り出せる自信」を持つ方が強い。
一つの手段としては魅力的でもとらわれ過ぎてもいけない。
だから今はいろんな経験を積むために動き回る。
その自信を少しでもつけるために。
そして自分がレッテルや実績を自分が持ったときに、思い上がったり、傲慢になったりしないように。とらわれがちだからこそ。
理想はレッテルとか実績があろうがなかろうが、そもそもそんなことはどうでもよくて。そこにとらわれることなくフラットでいれること。
多くの人とのふれあいでいろんな自分に気づけるし自分がよくわかる。
すべてのことには意味がある。